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三浦朗次
江戸時代後期の大名 ウィキペディアから
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三浦 朗次(みうら あきつぐ[1])は、江戸時代後期の大名。美作国勝山藩8代藩主。美作勝山藩三浦家13代。
生涯
天保元年(1830年)、越前丸岡藩主・有馬徳純の子として生まれる[1]。その後、徳純の養父である元藩主有馬誉純の養子となり、三男[1]として扱われる。幼名は剛之助、初名は有馬純恪(すみただ)。その後さらに、美作勝山藩主三浦義次の養子となる。
嘉永元年(1848年)11月15日、将軍徳川家慶に拝謁する。同年11月22日、義次の隠居により、家督を継いだ。同年12月16日、従五位下・志摩守に叙任する。嘉永3年(1850年)4月2日、日光祭礼奉行を命じられる。嘉永5年(1852年)閏2月28日、奏者番に就任する。安政7年(1860年)2月21日、27歳で死去。跡を養嗣子の弘次(義次の弟)が継いだ。
系譜
美作勝山藩主三浦家を実系で示せば以下のとおり。
三浦明敬 | |||||||||||||||||||
明喬 | 義理 | ||||||||||||||||||
明次1 | 矩次2 | ||||||||||||||||||
前次3 | 毗次4 | ||||||||||||||||||
誠次5 | |||||||||||||||||||
峻次6 | 義次7 | 弘次9 | |||||||||||||||||
朗次8 | 顕次10 | ||||||||||||||||||
- 実線は実子、点線は養子を示す。
- すべての人物を掲載してはおらず、また兄弟・姉妹の順に配列してはいない。
- 数字は美作勝山藩主の代数を示す。
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脚注
参考文献
外部リンク
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