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美作勝山藩

美作国にあった藩 ウィキペディアから

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勝山藩(かつやまはん)は、美作国真島郡勝山(岡山県真庭市勝山)に拠点を置いた。藩庁は勝山城に置かれた。高田藩(たかだはん、たかたはん)、美作高田藩(みまさか たかだはん、みまさか たかたはん)とも称される。藩主家は三浦家

藩史

江戸時代中期の明和元年(1764年)、譜代大名三浦明次三河国西尾藩より転封してきた。真島郡内の96村と大庭郡内の1村を与えられ2万3千石で立藩した。真島郡高田村の高田城を藩庁としたため、当初は高田藩などとも称されるが、しばらくして、高田城を勝山城に改称し、これを受けて勝山藩と称されるようになる[1]

2代矩次は真島郡新庄村(現・真庭郡新庄村)にある鉱山経営を奨励し財源確保に努めた。幕末には鉄鉱山は藩営となった。

明治2年(1869年真島藩(ましまはん)と改称。明治4年(1871年廃藩置県により真島県となる。北条県を経て岡山県に編入された。

戦後、岡山県により勝山町並み保存地区に指定された。

歴代藩主

概要 勝山藩主三浦家の略系図 ...
三浦家
譜代 2万3千石(1764年 - 1871年)
  1. 明次
  2. 矩次
  3. 前次
  4. 毗次
  5. 誠次
  6. 峻次
  7. 義次
  8. 朗次
  9. 弘次
  10. 顕次
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家老など

  • 戸村家 - 佐竹氏の一族で、佐竹義人の三男義倭を祖とする。
    • 愛茂愛治愛忠愛正愛広愛教愛則(荘嶽)愛重愛之―益郎
  • 九津見家 - 足利氏の一族で、足利義視の子と言われる恒視を祖とする。
    • 定利定深定春典定定羽相休定穀定之範陳―鏞太郎
  • その他

幕末の領地

脚注

参考文献

外部リンク

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