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上牧久渡古墳群
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上牧久渡古墳群(かんまきくどこふんぐん)は、奈良県北葛城郡上牧町上牧にある古墳群。8基が国の史跡に指定され、3号墳の出土品が奈良県指定有形文化財に指定されている。

上牧久渡古墳群 遠景
概要
出土品
上牧町役場展示。奈良盆地西部、馬見丘陵の南西端における、標高約70メートルの独立丘陵上に営造された古墳群である。前方後円墳1基(1号墳)・円墳6基(2・4-8号墳)・方墳1基(3号墳)の少なくとも8基から構成される[1]。かつては1号墳のみが円墳の「久渡古墳」として知られたが、2011年度(平成23年度)に古墳群として認知されるとともに、同年以降に発掘調査が実施されている[1]。
古墳群のうち1号墳(久渡古墳)は唯一の前方後円墳で、墳形は不整形な前方後円形をなす[1]。近代頃に墳丘が大きく破壊を受けているため詳細は明らかでないが、古墳時代前期頃の築造と推定される[1]。また3号墳は、出土品に大阪府の和泉黄金塚古墳東槨出土鏡と同型の中国製の画文帯神獣鏡があるほか、奈良盆地中西部では最古級の古墳とされ、当時の畿内ヤマト王権の中心地である奈良盆地南東部の平野の大和古墳群・柳本古墳群とは異なる規模・構造・立地であるとして注目される[1]。加えて古墳の築造は飛鳥時代まで認められており、古墳時代初頭から飛鳥時代まで断続的に多様な古墳が営まれた点で、当時の葛城地方北部の地域特性を考察するうえで重要視される古墳群になる[1]。
8基の古墳域は2015年(平成27年)に国の史跡に指定され、3号墳の出土品は同年に奈良県指定有形文化財に指定されている[2]。現在は史跡整備が実施されているが、2025年(令和7年)に文化庁や教育委員会などの機関の許可を得ずに採掘した場所にて未発見であった9号墳と思われる石室が破壊され、町は文化庁に経緯を報告し、石材などを埋め戻して原状回復させ、調査や今後の工事について文化庁や県などと協議している[3]。
なお、古墳群の下層では弥生時代後期の小集落遺跡(上牧久渡遺跡)の存在が明らかとなっているほか、谷を挟んで北方では上牧銅鐸の出土や(観音山銅鐸出土地)、谷を挟んで南方では松里園古墳群の分布が知られる[1]。
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遺跡歴
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一覧
文化財
国の史跡
- 上牧久渡古墳群 - 2015年(平成27年)10月7日指定[5]。
奈良県指定文化財
脚注
参考文献
関連文献
関連項目
外部リンク
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