トップQs
タイムライン
チャット
視点

上牧久渡古墳群

ウィキペディアから

上牧久渡古墳群map
Remove ads

上牧久渡古墳群(かんまきくどこふんぐん)は、奈良県北葛城郡上牧町上牧にある古墳群。8基が国の史跡に指定され、3号墳の出土品が奈良県指定有形文化財に指定されている。

Thumb
上牧久渡古墳群 遠景
Thumb
上牧久渡古墳群
上牧久渡
古墳群
上牧久渡古墳群の位置
Thumb
About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
750 m
.
上牧久渡
古墳群
上牧久渡古墳群の位置

概要

Thumb
出土品
上牧町役場展示。

奈良盆地西部、馬見丘陵の南西端における、標高約70メートルの独立丘陵上に営造された古墳群である。前方後円墳1基(1号墳)・円墳6基(2・4-8号墳)・方墳1基(3号墳)の少なくとも8基から構成される[1]。かつては1号墳のみが円墳の「久渡古墳」として知られたが、2011年度(平成23年度)に古墳群として認知されるとともに、同年以降に発掘調査が実施されている[1]

古墳群のうち1号墳(久渡古墳)は唯一の前方後円墳で、墳形は不整形な前方後円形をなす[1]。近代頃に墳丘が大きく破壊を受けているため詳細は明らかでないが、古墳時代前期頃の築造と推定される[1]。また3号墳は、出土品に大阪府和泉黄金塚古墳東槨出土鏡と同型の中国製の画文帯神獣鏡があるほか、奈良盆地中西部では最古級の古墳とされ、当時の畿内ヤマト王権の中心地である奈良盆地南東部の平野の大和古墳群柳本古墳群とは異なる規模・構造・立地であるとして注目される[1]。加えて古墳の築造は飛鳥時代まで認められており、古墳時代初頭から飛鳥時代まで断続的に多様な古墳が営まれた点で、当時の葛城地方北部の地域特性を考察するうえで重要視される古墳群になる[1]

8基の古墳域は2015年(平成27年)に国の史跡に指定され、3号墳の出土品は同年に奈良県指定有形文化財に指定されている[2]。現在は史跡整備が実施されているが、2025年(令和7年)に文化庁や教育委員会などの機関の許可を得ずに採掘した場所にて未発見であった9号墳と思われる石室が破壊され、町は文化庁に経緯を報告し、石材などを埋め戻して原状回復させ、調査や今後の工事について文化庁や県などと協議している[3]

なお、古墳群の下層では弥生時代後期の小集落遺跡(上牧久渡遺跡)の存在が明らかとなっているほか、谷を挟んで北方では上牧銅鐸の出土や(観音山銅鐸出土地)、谷を挟んで南方では松里園古墳群の分布が知られる[1]

Remove ads

遺跡歴

  • 2011年度(平成23年度)
    • 5月24日、久渡古墳(1号墳)一帯における宅地開発計画が浮上[4]
    • 5月31日、事前踏査。2号墳を確認(上牧町教育委員会・奈良県教育委員会・奈良県立橿原考古学研究所[4]
    • 6月、航空レーザー測量(奈良県立橿原考古学研究所)[4]
    • 7月8日、再踏査。複数の古墳状隆起を確認(奈良県立橿原考古学研究所、2012年に報告)[4]
    • 11月-2012年3月、試掘・確認調査:第1次調査。3-5号墳を確認(上牧町教育委員会)。
  • 2012-2014年度(平成24-26年度)、国庫補助事業による確認調査:第2-5次調査(上牧町教育委員会、2015年に報告)[4]
    • 2012年度、第2-3次調査:3-5号墳の再調査。
    • 2013年度、第4次調査:2号墳の調査。
    • 2014年度、第5次調査:1号墳の調査。
    • 2015年3月27日、3号墳出土品が奈良県指定有形文化財に指定[2]
  • 2015年度(平成27年度)
    • 10月7日、1-7号墳が国の史跡に指定(後年確認の8号墳も史跡範囲内)[5]
  • 2016-2017年度(平成28-29年度)、史跡整備に向けた確認調査:第6-7次調査(上牧町教育委員会)。
    • 2016年度、第6次調査:1・3号墳の補足調査および下層の上牧久渡遺跡の確認調査(2017年に報告)[6]
    • 2017年度、第7次調査:1号墳検出遺構の確認調査および7・8号墳の調査。8号墳を確認(2018年に報告)。
  • 2023年度(令和5年度)以降、史跡整備。
    • 2025年度(令和7年度)、史跡整備工事中に9基目の古墳の発見。その際石室が破壊されたと見られ、石材などを埋め戻して原状回復させた[3]
Remove ads

一覧

さらに見る 古墳名, 墳丘 ...

文化財

国の史跡

  • 上牧久渡古墳群 - 2015年(平成27年)10月7日指定[5]

奈良県指定文化財

  • 有形文化財
    • 上牧久渡3号墳出土品(考古資料) - 所有者は上牧町。2015年(平成27年)3月27日指定[7][2]
      • 銅鏡 1面
      • 鉄剣・鉄槍片 6点
      • 鉄鏃 4本
      • 土師器片 8点

脚注

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads