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中村正直

日本の教育家 ウィキペディアから

中村正直
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中村 正直(なかむら まさなお、1832年6月24日天保3年5月26日) - 1891年明治24年)6月7日)は、明治時代の日本啓蒙思想家教育者文学博士英学塾・同人社の創立者で、東京女子師範学校摂理(校長)、東京大学文学部教授、女子高等師範学校長を歴任した。通称・敬太郎。は敬輔、敬宇、鶴鳴、梧山。洗礼名はジョン(John)[3]

概要 中村(なかむら) 正直(まさなお), 誕生 ...
概要 貴族院議員, 選挙区 ...
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来歴

要約
視点

江戸・麻布の幕府同心の中村武兵衛の長男として生まれる。幼名は釧太郎、葛馬茂右衛門から四書を学び、石川梧堂の門人となり筆法を修める。1846年弘化3年)、築地井部香山の塾で漢学を学び、翌年桂川甫周から蘭学の指南を受ける。

1848年(嘉永元年)、昌平坂学問所の寄宿寮に入る。佐藤一斎儒学を、箕作奎吾英語を習った。1855年(安政2年5月)に教授、1856年(安政3年)に甲府徽典館の学頭となる。1862年(文久2年)に幕府の御用儒者となる。

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慶応2年11月1日英国留学の為め出発の途中上海にて。後列向って右より外山捨八(正一)、林桃三郎(董)、福沢英之助、杉徳三郎、億川一郎、安井真八郎、岩佐源二。前列向って右より市川盛三郎、箕作奎吾、成瀬錠五郎、中村敬輔(正直)、レベレンド・ウィリヤム・ロイド、川路太郎(寛堂)、伊東昌之助(岡保義)。最前列箕作大六(菊池大麓)。

1866年(慶応2年)川路寛堂と供に幕府のイギリス留学生監督として外山捨八(正一)等の留学生12名を引き連れて渡英。10月26日 横浜を出発し、翌年の元旦にロンドン到着[4]

1868年(慶応4年)6月 幕府瓦解のため、帰国。

1868年(慶応4年)8月 静岡市大岩町の臨済寺に家を借りる。その後に半洋式の家「無所争斎」を建ててそちらに移る[5]

1868年(明治元年)9月 静岡学問所の教授となる。

このとき同じく静岡学問所の教授であったエドワード・ウォーレン・クラーク宣教師に感化され、彼の生涯の友となった[6]

教授時代の1870年(明治3年)11月9日に、サミュエル・スマイルズの『Self Help』を、『西国立志編』(別訳名『自助論』)の邦題で出版し100万部以上を売り上げ、福澤諭吉学問のすすめ』と並ぶ大ベスト・ロングセラーとなった。序文にある‘Heaven helps those who help themselves’を「天は自ら助くる者を助く」と訳したのも彼である。

ジョン・スチュアート・ミル『On Liberty』を、『自由之理』(現在では同書を『自由論』と称するのが一般的)で訳し、「最大多数の最大幸福」という功利主義思想を主張し、個人の人格の尊厳や個性と自由の重要性を強調した。この『自由之理』にはエドワード・ウォーレン・クラークにより書かれた序文も付けられている[7]

1872年(明治5年)6月 大蔵省翻訳局長に任じられ、後に帝国学士会員、東京大学教授となる。女子教育・盲唖教育にも尽力。

1873年(明治6年)3月 大蔵省退官後に小石川の私邸に同人社を開設、この私塾で英学を教えた。同人社は、三田の慶應義塾及び近藤真琴の攻玉社と並ぶ三大義塾と称された[8]

また、1873年(明治6年)、国内における学術団体の嚆矢とされる明六社の設立に参加、福澤諭吉森有礼西周加藤弘之らとともに主要メンバーとして啓蒙思想の普及に努め、機関誌「明六雑誌」の執筆を行う。

1874年(明治7年)1月4日 横浜ユニオン・チャーチジョージ・コクラン宣教師の説教を聞く。それがきっかけでコクランを同人社に迎え入れる[9]

1874年(明治7年)12月25日 養子の一吉と共にコクランから洗礼を受け、カナダ・メソジスト教会の日本人最初の信徒になる[9]。洗礼名はジョン(John)で、Nakamura Masanawer John と呼ばれた[3]

1890年(明治23年)9月29日、貴族院勅選議員に任じられ[10]、死去するまで在任した[11]

1891年 死去。満58歳。

六大教育家のうちの3名のクリスチャン(あと2人は森有礼新島襄)のうちの1人。興亜会会員。

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逸話

石碑

  • 父の武兵衛は静岡県伊東市宇佐美の農家である佃家の次男として生まれたが、その後に中村家の養子となった。正直は父のふる里である宇佐美を愛しよく訪れていた。そのつながりから、宇佐美には中村敬宇顕彰碑という石碑が立てられている。
  • 中村正直が静岡に居たときに住んでいた場所は現在の静岡県静岡市葵区大岩本町の富春院の裏手である。その富春院の門の前には彼を記念した石碑「尚志」の碑が建てられている[12]。また、実際に彼の家「無所争斎」があった場所には中村敬宇先生旧宅跡という石碑もある[12]

栄典・授章・授賞

位階
勲章等

著作

著書
訳書
  • 西国立志編 : 原名自助論』11冊、斯邁爾斯著、木平謙一郎、明治4年9月
    サミュエル・スマイルズ自助論』 の翻訳。明治期に銀花堂、文事堂、博文館、求光閣、共同出版などで再版された。
    • 改正 西国立志編 : 原名自助論』 斯邁爾斯著、七書屋、1877年2月
    • 『西国立志編 : スマイルス自助論』 柳田泉校訂、冨山房〈冨山房百科文庫〉、1938年7月
    • 海後宗臣編・解説 『日本教科書大系 近代編第一巻 修身(一)』 講談社、1961年11月 - 抄録
    • 『西国立志編』 サミュエル・スマイルズ著、講談社〈講談社学術文庫〉、1981年1月、ISBN 4061585274
    • 斉藤利彦ほか校注 『新日本古典文学大系 明治編11 教科書 啓蒙文集』 岩波書店、2006年6月、ISBN 4002402118 - 抄録
    • 『西国立志編』2冊、スマイルス著、人間文化研究機構国文学研究資料館〈リプリント日本近代文学〉、2012年12月、ISBN 9784256902028, 9784256902035
  • 自由之理』6冊、弥爾著、木平謙一郎、明治5年1月
    ジョン・スチュアート・ミル自由論』 の翻訳。
    • 改正 自由之理』 弥爾著、木平譲、1877年3月
    • 吉野作造編輯代表 『明治文化全集 第五巻 自由民権篇』 日本評論社、1927年11月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第二巻 自由民権篇』 日本評論新社、1955年1月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第五巻 自由民権篇 上巻』 日本評論社、1992年7月、ISBN 4535042454
    • 『自由之理』ミル著、人間文化研究機構国文学研究資料館〈リプリント日本近代文学〉、2013年1月、ISBN 9784256902363
  • 西国童子鑑』2冊、同人社、1873年10月
  • 共和政治』3冊、ランソム・ギルレット著、同人社、1873年10月
    Ransom Hooker Gillet. The Federal Government. の翻訳。
  • 英国律法要訣』 翻訳局訳述、印書局、1874年12月
    John C. Devereux. Cabinet Lawyer. の翻訳。村田文夫とともに第一編を訳述。
  • 西洋品行論』12冊、斯邁爾斯原撰、中村正直、1878年3月
    サミュエル・スマイルズ Character. の翻訳。
    • 品行論』 八尾商店ほか、1895年6月
  • 拿破崙童時事 童子亀鑑』 同人社、1884年12月
  • 西洋節用論』 中村正直、1886年2月
    サミュエル・スマイルズ Thrift. の翻訳。
編書
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脚注

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク

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