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中野遼太郎

日本のサッカー選手、指導者 (1988-) ウィキペディアから

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中野 遼太郎(なかの りょうたろう、1988年6月13日 - ) は、東京都西東京市出身の[3]サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。

概要 中野 遼太郎, 名前 ...
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来歴

要約
視点

4歳でサッカーを始め[2]、中学・高校時代はFC東京の下部組織に所属した[3]。高校3年時には背番号10を背負う[4]主将として[5]チームを牽引。ゲームをコントロールする役割を担った[6]。同期には吉本一謙森村昂太権田修一、稲葉基輝らがいた[3]

高校卒業後には、複数のJリーグクラブからオファーを受けたが[7]FC東京トップチームを目指していたためこれらを断り[8]早稲田大学に進学、2007年よりア式蹴球部に所属した。1年時に鈴木修人の代役として抜擢されると[9]武器と語る視野の広さと中盤での展開力[7][4]を発揮し大榎克己監督から絶賛された[9]。鈴木の復帰後も出場機会を得、同年の全日本大学サッカー選手権の優勝に貢献した[10]

しかし大榎は同年限りで退任。後に、使われないのは分かっていたと語るほど[7]後任の今井敏明監督からは冷遇され、出場機会が激減。4年時には古賀聡監督から司令塔として[7]背番号10を託されたものの、目立った活躍はできなかった[4]

2011年に大学を卒業。ドイツへ渡り、メクレンブルク=フォアポンメルン州フェアバンツリーガ (en) Fußball-Verbandsligaは6部リーグに相当)に所属するFCポンメルン・グライフスヴァルトに加入[4]。チーム2位となる10得点を挙げ[11]2011-12シーズン前期の首位に導いた。

2012年ポーランド1.リーガ (en) (2部リーグに相当)に所属するアルカ・グディニャの入団テストを受け[12]合格。シーズン終了(6月30日)までの契約を結んだ[1]。同年7月、ドイツ北東部のオーバーリーガ(5部リーグに相当)に昇格したFCポンメルン・グライフスヴァルトと再契約を結んだ[4]

2013年1月末、突如グライフスヴァルトとの契約を打ち切られたため[4]、同年4月よりラトビア・1.リーガ (en) (2部リーグ相当)のBFCダウガヴァに加入。26得点を挙げて得点王・最優秀選手に選出される活躍で[4]クラブのリーグ優勝に大きく貢献した[13]。2014年からはヴィルスリーガ(1部リーグ)でプレー。第36節FCユールマラ戦ではハットトリックを記録[14]

2016年、FKイェルガヴァへ移籍[15]。2015-16のラトビア・カップに優勝し、ヨーロッパリーグ予選出場権を獲得。同年クラブは史上最高位となるヴィルスリーガ2位で終え、中野もベストイレブンを受賞した[16]。同年末、イェルガヴァとの契約を1年延長し一時帰国[16]

帰国中にチョンブリーFCから破格のオファーが届き[16]、2017年1月に同クラブへ完全移籍。同シーズンを持ってチョンブリーFCを退団。

2018年、FKイェルガヴァ復帰。

2019年、タイ・ホンダFCに加入。同年9月1日、現役引退を表明[17]

2020年から古巣FKイェルガヴァからのオファーを受諾し、コーチに就任。ラトビアでサッカー指導者としてのキャリアをスタートさせる決め手となったのは欧州での指導が可能なUEFAライセンスの取得にあると述べている[18]

2023年からアカデミー時代に所属していたFC東京に復帰しFC東京U-15むさしのコーチに就任した[19]

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所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴
指導者経歴
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個人成績

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タイトル

個人

代表・選抜歴

指導歴

脚注

関連項目

外部リンク

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