トップQs
タイムライン
チャット
視点

丹墀貞成

ウィキペディアから

Remove ads

丹墀 貞成(たじひ の さだなり)は、平安時代初期の貴族多治比真人のち丹墀真人。官位正五位下木工頭

概要 凡例丹墀貞成, 時代 ...

経歴

嵯峨朝弘仁10年(819年従五位下叙爵淳和朝天長6年(829年)従五位上に叙せられる。

天長10年(833年)木工頭の官職にあったが、多治比真人姓から丹墀真人姓への改姓を奏請し許される。なお、「丹墀」というの呼称は天平5年(733年)に遣唐大使として渡唐した多治比広成において一時的に用いたものであった[2]。その後、正五位下に叙せられる。承和元年(834年)約30年ぶりに遣唐使を派遣することになり、遣唐使船を建造するために造舶使が任命され、貞成は責任者である長官に任命された。

なお、貞成の没後の貞観8年(866年)に貞成の子息と見られる貞岑によって、丹墀真人姓から多治真人姓への改姓が行われている[2]

官歴

六国史』による。

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads