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二軍監督

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二軍監督(にぐんかんとく)とは、スポーツチームなどの二軍(ファーム・マイナーリーグ・サテライト・リザーブ)の監督をいう。

日本プロ野球の二軍監督

二軍監督の主な役割は試合、プレー面で二軍コーチ、二軍選手を指揮する二軍内責任者である。一軍の監督同様、二軍を常にベストの状態で試合に臨めるチーム体制を作り、優勝を目標とする。なお、この場合の「優勝」は「二軍の優勝」ではなく「一軍の優勝」である。

二軍の勝利も当然、目標とすべきものである[1]が、あくまで二軍は一軍と異なり、将来の戦力の育成、不振の一軍選手の再調整を行う面もあり、二軍での勝利だけが目標ではない。[2]

二軍監督による育成や再調整の巧拙は、数年後の将来への布石となるばかりでなく、直近の一軍勝敗にも直結するため、ヘッドコーチ人事と同様、ここに有為の人材を起用できるかどうかがチームの死活に関わる。また一軍監督への登竜門[3]ともなっており、NPB二軍監督経験ののち一軍でのリーグ優勝を成し遂げた例としては、中日ドラゴンズ濃人渉(移籍先のロッテで優勝)・辻発彦(古巣の西武で優勝)、ロッテオリオンズ大沢啓二(移籍先の日本ハムで優勝)、広島東洋カープ阿南準郎東京ヤクルトスワローズ若松勉真中満高津臣吾大阪近鉄バファローズ梨田昌孝(近鉄・及び移籍先の日本ハムでも優勝)、埼玉西武ライオンズ渡辺久信福岡ソフトバンクホークス秋山幸二小久保裕紀阪神タイガース岡田彰布オリックス・バファローズ中嶋聡読売ジャイアンツ阿部慎之助がいる。

逆に一軍監督の経験者がチーム編成・人事の都合で二軍監督を務める例もある(同一チームでは西村正夫濃人渉秋山登三木肇和田豊など)。

またNPB二軍ではないが、MLBヤンキース傘下であったコロンバス・クリッパーズ(3A)の監督を経験し、その後、日本ハム一軍監督として優勝し、帰国後MLBの監督を務めたトレイ・ヒルマンの例もある。

一軍の監督が選手兼任監督であり、かつ選手としての出場選手登録が抹消された場合には、一軍の日程によっては二軍監督の指揮下で一選手としての二軍戦への出場が可能とも想定されるが、2000年代以降は実例がない。逆に、二軍監督が選手兼任となり一軍では一選手として出場し、一軍の日程により二軍の指揮をコーチが代行した実例も2000年代以降ではみられない(選手兼任の二軍監督は、過去には東急フライヤーズにおける赤根谷飛雄太郎などの例があった)。

1960年年代末期から70年代には、現役選手として登録されていない二軍監督・コーチがウエスタンイースタンの両リーグ公式戦に限り選手として出場できる特例があり、実際に福田昌久(巨人・1966年)やフレッド・シャーマン(広島・1978年)などが出場した事例があった。

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現在の日本プロ野球二軍監督

要約
視点

2025年の二軍(ファーム)監督

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[4]

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三軍・四軍監督

球団によっては、育成選手を大量に抱えるなどの理由で、三軍を設置している。非公式試合を実施する球団では、三軍監督が配置されることもある。

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在任記録

  • 在任シーズン数最多  和田博実(太平洋=クラウン=西武:1974-1977、及び1987-1992)(阪神:1997-1998) 計12シーズン 
  • 連続在任シーズン最長 穴吹義雄南海:1973-1982) 10シーズン連続

脚注

関連項目

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