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二階堂行泰

鎌倉時代前期の御家人。鎌倉幕府 引付衆 評定衆 政所執事。左衛門尉、従五位上、筑前守。二階堂氏4代、信濃流筑前家の祖 ウィキペディアから

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二階堂 行泰(にかいどう ゆきやす)は、鎌倉時代前期の御家人鎌倉幕府政所執事

概要 凡例二階堂行泰, 時代 ...

生涯

建暦元年(1211年)二階堂行盛の子として生まれる。嘉禎3年(1237年)民部丞となった[2]宝治元年(1247年)幕府の使者として京へ上り徳政令について奏上した[3]建長元年(1249年)引付方の設置とともに引付衆となり[4]、建長5年(1253年二階堂行方とともに引付頭人[5]に任じられた。また同年父行盛が亡くなり、政所執事[6]に任じられた。その後、正元元年(1259年評定衆となった[4]弘長2年(1262年)息子行頼に政所執事を譲るが[7]、翌年行頼が亡くなったため政所執事に復した[8]

文永2年(1265年)10月2日に死去した。享年55[2]。後任の政所執事は子の行実が継いだ[9]

経歴

  • 嘉禎3年(1237年)1月24日 - 民部丞
  • 寛元元年(1243年)6月12日 - 従五位上[2]
  • 寛元元年(1243年)11月2日 - 筑前守[2]
  • 康元元年(1256年)11月 - 出家(法名:行善)[2]
  • 文永2年(1265年)10月2日 - 卒。享年55

脚注

関連資料

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