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二階堂行忠
鎌倉時代中期の御家人。鎌倉幕府 評定衆 政所執事。二階堂氏9代、信濃流信濃家の祖 ウィキペディアから
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二階堂 行忠(にかいどう ゆきただ)は、鎌倉時代中期の御家人。鎌倉幕府政所執事。
略歴
承久3年(1221年)、二階堂行盛の子として誕生。『吾妻鏡』1222年(貞応元年)9月21日条に「籐民部大夫行盛の妻男子平産す」とあるのが行忠である。
政所執事は代々主に二階堂行盛の子孫が世襲している。最初は二階堂行泰が継ぎ、その後に子である行頼・行実が継ぐがそれぞれ早死にする。その後政所執事を継いだ行泰の弟の二階堂行綱の家系でも子・頼綱が政所執事を継いで2年後に死去したため、政所執事の職には当時評定衆であり叔父・行忠が63歳という高齢で就任することになる。
行忠の嫡子・行宗は引付衆まで進んだが行忠より早く没しており、行忠の没後は孫・行貞が22歳で政所執事に就任した。
脚注
- 五味文彦『増補 吾妻鏡の方法 事実と神話にみる中世』(吉川弘文館、2000年) ISBN 4-642-07771-5
- 細川重男『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館、2000年) ISBN 4-642-02786-6
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