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二階堂行盛
鎌倉時代前期の御家人。鎌倉幕府 政所執事、評定衆。二階堂氏3代 ウィキペディアから
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二階堂 行盛(にかいどう ゆきしげ-ゆきもり)は、鎌倉時代前期の御家人。鎌倉幕府の政所執事、評定衆。
略歴
承久元年(1219年)、父・行光没後の政所執事は行光の甥・伊賀光宗となったが、元仁元年(1224年)光宗が伊賀氏事件で流罪となったあと行盛が就任する(『吾妻鏡』貞応3年(1224年)閏7月29日条)。嘉禄元年(1225年)に出家し法名を行然と名乗るが、政務を退いた訳ではなく、建長(1253年)12月9日に72歳で没するまで政所執事として鎌倉幕府の要職にあった。
以降この家系がほぼ政所執事を世襲し、最初は行泰が継ぐが、行泰が没すると行泰の弟である行綱、行忠の家に移り、弘安9年(1286年)に行忠からその孫の行貞に受け継がれた。
画像集
- 東昌寺(逗子市)(神奈川県逗子市池子2‐88‐33五輪塔は現在此処の境内)
- 旧慶増院五輪塔(逗子市)(昭和28年(1953)8月29日重文指定、二階堂行然の墓説もあり此処に掲載)
- 旧慶増院五輪塔+解説板(乾元二年癸卯七月八日(1303)沙弥行心帰寂の銘、二階堂信濃守行心入道の墓)
出典
- 細川重男『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館、2000年) ISBN 4-642-02786-6
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