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井澤惇
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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井澤 惇(いざわ あつし、1989年7月23日 - )は、東京都練馬区出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(主にボランチ[2])。サッカー指導者。
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来歴
要約
視点
小学生時は 練馬FC でプレーし、中学入学と同時にFC東京U-15に入団。高校進学と同時にFC東京U-18に昇格した。ユースでの同期には大竹洋平、廣永遼太郎、椋原健太がおり[注 1]、2003年のU-15クラブユース選手権並びに2007年のJユースカップで優勝を果たしている。プロ入りへの意欲は強かったが[4]、FC東京でのトップチーム昇格はならなかった。[要出典]
2008年に高校を卒業し、オファーのあったJ2・ヴァンフォーレ甲府に入団[2][3]。FC東京U-18から直接他のJリーグクラブにプロ入りした初めての例となった。同年11月23日のJ2第43節水戸戦でJリーグ初出場を果たした。プロ2年目の2009年5月、J2第17節徳島戦でJリーグ初得点を記録。以後、先発出場の機会を得られるようになり、巧みなファーストタッチで相手のプレスをかわしてボールを前線へと繋げた[5]。7月のJ2第25節栃木戦でも得点を挙げたが、その翌節の湘南戦で左足脹脛を負傷し[5]、戦列を離れた。10月のJ2第46節横浜FC戦で復帰。[要出典]本職のボランチ以外にも、フォワードやサイドバックとしても起用された。[要出典]
2011年には自身初のJ1を経験。[要出典]リーグ戦終盤になってレギュラーに据えられると、11月19日の第32節磐田戦でJ1初得点を挙げた。2012年からは背番号10を任され、その重圧と戦いながらのシーズンとなったが[6]、中盤の様々なポジションに順応。J1復帰の懸かった湘南戦で得点を挙げ、J2優勝及び1年でのJ1復帰に貢献した[7]。同年入籍[8]。2013年は序盤こそ先発出場を続けたものの、右膝内側側副靱帯を痛めたことでシーズン半ばから導入した新布陣への適応に遅れ[9]、9月には同箇所の負傷により再離脱する[10] 苦しい1年となった。
2014年より背番号を14へ変更。同年7月よりカターレ富山へ期限付き移籍[11][12]。ボランチに入り、配球役としてゲームコントロールを担った[13]。シーズン終了をもって移籍期間を満了[14]。甲府とも契約を満了し同年限りで退団[15]。
2015年、徳島ヴォルティスへ完全移籍[16][17]。2017年11月27日、契約期間の満了が発表されて退団[18]。同年12月に行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[19]。
2018年、関東サッカーリーグ1部の栃木ウーヴァFCに完全移籍[20]。同年シーズンには、関東サッカーリーグ1部ベストイレブンに選出される活躍を見せた[21]。2020年12月24日、現役引退が発表された[22]。
現役引退後は指導者として、2021年シーズンの栃木シティU-15コーチ(U-14担当)に就任[23]。2022年に同U-15監督[24]、2023年には同U-18コーチを歴任した[25]。2024年シーズンからは、JFLに昇格したトップチームのオフェンスコーチを務める[26]。
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所属クラブ
- ユース経歴
- 1996年 - 1997年 川越市立霞ヶ関小学校[3]
- 1997年 - 1998年 練馬区立大泉学園小学校[3]
- 1998年 - 2001年 練馬FC (練馬区立向山小学校)[3]
- 2002年 - 2004年 FC東京U-15 / FC東京U-15深川[注 2] (練馬区立貫井中学校)[3]
- 2005年 - 2007年 FC東京U-18 (東京都立光丘高等学校)[2]
- プロ経歴
- 2008年 - 2014年
ヴァンフォーレ甲府
- 2015年 - 2017年
徳島ヴォルティス
- 2018年 - 2020年
栃木ウーヴァFC/栃木シティFC
個人成績
代表歴
- 2007年 U-18日本代表 - オーストラリアユースオリンピックフェスティバル[27]
指導歴
脚注
関連項目
外部リンク
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