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交野車塚古墳群
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交野車塚古墳群(かたのくるまづかこふんぐん)は、大阪府交野市寺南野・寺にある古墳群。1基(1号墳:交野東車塚古墳)が大阪府指定史跡に指定され、1号墳出土品が大阪府指定有形文化財に指定されている。
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交野車塚古墳群分布図
概要
大阪府北部、前川が生駒山系から平野部に出る扇状地の西岸に築造された中期古墳群である。前方後円墳1基(6号墳)・前方後方墳1基(1号墳)・円墳3基(3-5号墳)・方墳1基(2号墳)の計6基から構成される。1・2号墳は墳丘が残存するが、3-5号墳は削平されて埋没し、6号墳は宅地化している。1973年(昭和48年)の大阪府立交野高等学校設置の際に古墳群として確認されて発掘調査が実施されているほか、1988年(昭和63年)に前川堤防緑道整備に伴う1号墳の発掘調査が実施され、2001年(平成13年)に6号墳の存在が確認されている。
古墳群のうち前方後方墳の1号墳(東車塚古墳)は、墳丘長65メートルを測り、埋葬施設は粘土槨で、副葬品として銅鏡3面・玉類・鉄剣・鉄刀・甲冑・農工具などが出土している。2号墳は未調査である。3-5号墳は削平された埋没古墳として調査され、そのうち3号墳は円形の墳丘に方形の周溝を伴うという特異な形態をとる。また、6号墳(大畑古墳)は宅地化しているが、墳丘長85メートルの前方後円墳とされ、この時期の北河内地方では最大級の規模になる。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀代前後(前期末-後期初頭の4世紀末-6世紀前半)頃と推定される[1]。典型的な中期古墳群で、交野地域では前期の森古墳群(丘陵上)→中期の車塚古墳群(平野部)→後期の寺古墳群(丘陵上)と継続する[2]。1号墳では甲冑をはじめとする豊富な鉄製品が出土しているが、付近の森遺跡において鍛冶遺構が確認されており、交野車塚古墳群を築造した首長層との関連性が注目される。
1号墳の古墳域は1991年(平成3年)に大阪府指定史跡に指定され、1号墳の出土品は1994年(平成6年)に大阪府指定有形文化財に指定されている。
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遺跡歴
- 1898年(明治31年)頃、片町線(学研都市線)建設に伴う丘陵「車塚」の一部破壊[3]。
- 1972年(昭和47年)、丘陵「車塚」の試掘調査、古墳(1号墳)と確認(大阪府教育委員会)[3]。
- 1973年(昭和48年)、交野高等学校設置に伴う古墳群の発掘調査(大阪府教育委員会、1973年に報告)[3]。
- 1974年(昭和49年)、大阪府立交野高等学校の開校。
- 1988年(昭和63年)、前川堤防緑道整備に伴う1号墳の発掘調査(交野市教育委員会)[3]。
- 1991年(平成3年)3月29日、1号墳が大阪府指定史跡に指定。
- 1994年(平成6年)12月12日、1号墳出土品が大阪府指定有形文化財に指定。
- 1999年(平成11年)、1号墳墳丘部分の発掘調査(交野市教育委員会、2000年に報告)。
- 2001年(平成13年)、寺村遺跡の確認調査:6号墳(大畑古墳)の存在確認(交野市教育委員会、2002年に報告)。
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一覧
- 1号墳 甲冑
交野市立歴史民俗資料展示室展示(他画像も同様)。 - 1号墳 鉄剣・鉄刀
- 古墳群 囲形埴輪
- 古墳群 円筒埴輪
文化財
大阪府指定文化財
- 有形文化財
- 交野東車塚古墳出土品(考古資料) - 所有者は交野市。1994年(平成6年)12月12日指定。
- 史跡
- 交野東車塚古墳 - 1991年(平成3年)3月29日指定。
関連施設
- 交野市立歴史民俗資料展示室(交野市倉治、交野市立教育文化会館内) - 交野車塚古墳群の出土品を展示。
脚注
参考文献
関連文献
関連項目
外部リンク
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