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中村実宗
平安時代後期の官人、武士 ウィキペディアから
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中村 実宗(なかむら さねむね、旧字体:中村 實宗)は、平安時代後期の人物。藤原北家山蔭流、式部少輔[3]・藤原定任の子。官位は従四位下・陸奥守・鎮守府将軍・常陸介・能登守。中村氏や伊佐氏の祖。
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経歴
康和2年(1100年)、陸奥守兼鎮守府将軍に任じられる[2]。嘉承2年(1107年)8月、堀河天皇崩御に際し、香隆寺・興福寺での法要の使節を務める[4][5]。
天永2年(1111年)に常陸介に任命され、常陸国の伊佐荘に伊佐城を築き、伊佐実宗と称する[6]。朝廷より常陸国に対し臨時の課税を命じられたが、実宗は赴任早々でもあり国内が疲弊して税を支払うことが出来ず、大蔵卿の大江匡房に免除を願い出、匡房はその願いを受容れ遠江国に税を課した[7]。
永久元年(1113年)、実宗は鹿島神宮の造営に貢献する[7][8]。武蔵国の横山党の乱を追討して功をあげ、その後実宗は真壁郡中村に居住し中村を氏とし、中村実宗と称した[7][2]。
系譜
出典・脚注
関連項目
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