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伊号第百七十一潜水艦
日本の潜水艦 ウィキペディアから
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伊号第百七十一潜水艦(いごうだいひゃくななじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十八型潜水艦(海大VI型a)の4番艦。竣工時の艦名は伊号第七十一潜水艦(いごうだいななじゅういちせんすいかん)。
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艦歴
要約
視点
- 1933年(昭和8年)2月15日 - 川崎造船所で起工。
- 1934年(昭和9年)8月25日 - 進水
- 1935年(昭和10年)12月24日 - 竣工。呉鎮守府籍。
- 1937年(昭和12年)1月7日 - 伊72、伊73と共に第20潜水隊を編成[1][2]。
- 1938年(昭和13年)6月1日 - 艦型名を伊六十八型に改正[3]。
- 1939年(昭和14年)10月10日 - 予備艦となる[2]。
- 1940年(昭和15年)10月11日 - 横浜港沖で行われた紀元二千六百年特別観艦式に参加[4]。
- 1941年(昭和16年)11月11日 - 第3潜水戦隊第20潜水隊に属し、佐伯を出航[1]。
- 1942年(昭和17年)1月12日 - クェゼリンを出航しハワイ方面散開線につく[1]。
- 1月29日日没 - マウイ島西方2浬地点付近で、カフルイからヒロへ向かっていた輸送船団を攻撃し、米軍兵士を乗せて航行中の米貨客船ジェネラル・ロイヤル・T・フランク(General Royal T. Frank、622トン)を雷撃。魚雷が命中した同船は爆発し、30秒で沈没した。
- 2月16日 - クェゼリンを出航し、米機動部隊のラバウル攻撃を受けウェーキ東方海面へ退避[1]。
- 3月6日 - 呉入港[1][2]。
- 4月15日 - 呉を出港。ウェーキ方面散開線につく[1]。
- 5月20日 - 伊号第百七十一潜水艦に改名。
- 5月24日 - ミッドウェー海戦に参加[1]。
- 7月8日 - クェゼリンを出航しサモア方面で活動[1]。
- 7月29日 - トゥトゥイラ島近海で商船を雷撃するも、命中せず。
- 8月17日 - トラックを出航。24日、呉に入港し、修理を実施[1]。
- 1943年(昭和18年)2月15日 - キスカ島輸送に従事のため呉を出港[1]。
- 1944年(昭和19年)1月9日 - トラックを出航し、13日、ラバウル着[1]。
撃沈総数1隻、撃沈トン数622トン。
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歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』434-435頁及び『官報』による。
艤装員長
- 水口兵衛 少佐:1935年2月15日[7] -
艦長
脚注
参考文献
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