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伊号第百六十八潜水艦

日本の潜水艦 ウィキペディアから

伊号第百六十八潜水艦
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伊号第百六十八潜水艦(いごうだいひゃくろくじゅうはちせんすいかん)は、日本海軍潜水艦伊百六十八型潜水艦(海大VI型a)の1番艦。竣工時の艦名は伊号第六十八潜水艦

概要 伊号第百六十八潜水艦, 基本情報 ...
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艦歴

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最後の戦闘

1943年7月27日17時54分、伊168はニューアイルランド島ニューハノーバー島の間にあるステフェン海峡英語版で浮上航行中に米潜水艦スキャンプに発見される[6]。18時03分、伊168も潜望鏡を上げているスキャンプを発見し、これに対し魚雷を発射。スキャンプは即座に潜航を開始し、150フィートの深さに潜ったスキャンプの船尾を伊168が放った魚雷がかすめていった[6]。18時12分スキャンプは、再度浮上して潜望鏡で伊168を捉えた後、魚雷4本を発射。うち1発が命中した[7]

18時14分、スキャンプが潜望鏡を上げて確認したが、海上に伊168の姿はなく、大きな150フィートの高さにまで立ち登る茶色い煙と油膜が残されていた。直後にスキャンプは5つの爆発音を観測し、そのうち2つは地球の中心から響くかのような轟音であった[6]。伊168は非常に稀有な潜水艦同士の戦いで最期を迎えたが、浮上中であった伊168にとっては不利な条件下の戦闘であった。艦長の中島栄少佐以下乗員97名全員が戦死した[1][2]

撃沈総数2隻、撃沈トン数21,445トン。

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歴代艦長

※『艦長たちの軍艦史』432-433頁による。

艤装員長

  • 鶴岡信道 中佐:1933年11月15日 - 1934年2月23日

艦長

  • 鶴岡信道 中佐:1934年2月23日 - 1934年11月15日
  • 太田信之輔 少佐:1934年11月15日 - 1935年11月15日
  • 栢原保親 少佐:1935年11月15日 - 1937年12月1日
  • 畑中純彦 少佐:1937年12月1日 - 1938年12月15日[8]
  • 内野信二 中佐:1938年12月15日 - 1939年9月1日[9]
  • 村岡富一 少佐:1939年9月1日 - 1941年7月25日[10]
  • 中村乙二 少佐:1941年7月25日 - 1942年1月31日[11]
  • 田辺弥八 少佐:1942年1月31日 -
  • 中島栄 少佐:1942年10月15日 - 1943年7月27日戦死

脚注

参考文献

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