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伊和神社

兵庫県宍粟市一宮町須行名にある神社 ウィキペディアから

伊和神社map
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伊和神社(いわじんじゃ)は、兵庫県宍粟市一宮町須行名にある神社式内社名神大社)、播磨国一宮旧社格国幣中社で、現在は神社本庁別表神社

概要 伊和神社, 所在地 ...
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鳥居

海神社粒坐天照神社と合わせて「播磨三大社」と総称される。

祭神

主祭神
  • 大己貴神
    播磨国風土記』の記載では、播磨国の神である伊和大神と葦原志許乎命(大己貴神の別称・葦原醜男)は同神とみなせる。
配神

『風土記』では伊和大神は出雲から来たという。「伊和」の語源について『風土記』では神酒(みわ)から、或いは大己貴神が国作りを終えて「於和(おわ)」と呟いたためとする[1]

歴史

成務天皇14年または欽明天皇25年の創祀と伝わる。

延喜式神名帳』には、「伊和坐大名持魂神社(いわにいますおおなもちみたまのかみやしろ)」(伊和に鎮座する大己貴神の社)とあり、正暦2年(991年)、正一位の神階に叙せられた。

播磨国一宮とされ、幾度か火災にあって焼失する度に朝廷国司守護赤松氏、近隣の藩主などの庇護で再建された。なお、鎮座地である一宮町(現・宍粟市)の地名は、播磨一宮の当社に由来する。[2]

近代社格制度では明治6年に県社へ列格、同18年に国幣小社へ昇格、同45年には国幣中社に昇格した。戦後は神社本庁別表神社に指定されている。

境内

  • 鶴石
    伝承では、欽明天皇25年、豪族・伊和恒郷に大己貴神から「我を祀れ」との神託があった。恒郷は、西の野で一夜にして木々が群生し、大きな白鶴2羽が石(鶴石)の上で北向きに眠っていたのをみて、そこに社殿を北向きに造営したとされる。現在の社殿も北向きで社叢のなかにあり、鶴石は本殿裏に祀られる。

摂末社

境内末社
旧境外摂末社(所在地表記がないものは宍粟市に所在)

祭事

年間祭事

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秋季大祭
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秋季大祭
  • 新年祭(1月1日)
  • 節分祭(節分の日)
  • 祈年祭(2月17日)
  • 春季大祭・弁天祭(4月10日に近い日曜日)
  • 大祓(6月30日)
  • 夏祭(7月15日)
  • 風鎮祭(8月26日)
  • 開願祭(9月15日頃)
  • 秋季大祭(10月15日・16日)
  • 新嘗祭(11月23日)
  • 冬祭(12月15日)
  • 大祓・除夜祭(12月31日)
  • 一つ山祭 21年目毎
  • 三つ山祭 61年目毎(甲子の年)

風鎮祭

油万燈祭ともいう。二百十日の前に風の鎮めを願い、五穀豊穣・家内安全を祈念する。日暮れとともに、境内に並ぶ、油と灯芯が入った小皿に火が灯される。

秋季大祭

15日は例祭で、村練りなどを行う。16日は神輿渡御を行う神幸祭で、氏子地域など[3]から5台の屋台(太鼓台)が練り出される。屋台の宮入、練り合わせの後、百余人の神職や奉仕者の渡御行列が、神輿とともに揖保川沿いの御旅所に神幸する。

伊和神社のお膝元・須行名地区の屋台蔵は、神社向かいの道の駅播磨いちのみや内にあり、営業時間中は屋台が見学できる。

三つ山祭・一つ山祭

三つ山祭は61年に一度、一つ山祭は21年に一度催行される。三つ山とは白倉山・高畑山・花咲山、一つ山とは宮山のことで、これら四つの山は伊和神社を囲む位置にある。それぞれに岩磐と祠があり、祭礼では祠を整備して山々を遥拝する。山岳信仰・磐座信仰の名残とみられる。

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文化財

兵庫県指定文化財

その他

  • 新田義貞寄進状外古文書類約200通
  • 新田義貞奉納甲冑(焼損)

現地情報

所在地

交通アクセス

脚注

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関連図書

関連神社

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関連項目

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外部リンク

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