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東京都島嶼部
東京都の区域の内、島嶼の部分。伊豆諸島及び小笠原諸島がある ウィキペディアから
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東京都島嶼部(とうきょうととうしょぶ)は、東京都の区域のうち、伊豆諸島および小笠原諸島に属する地域を指す呼称。#呼称の項目で後述するように、いくつかの呼称がある。

なお「嶼」は日本の常用漢字ではないため、「島しょ」と交ぜ書きされることもある(東京都島しょ農林水産総合センター、東京都島しょ振興公社など)。
概要
東京都の区域は、本州側にある東京都区部(いわゆる23区)および多摩地域と、太平洋上の離島である伊豆諸島・小笠原諸島の島々からなる。この両諸島が、本州側(23区・多摩地域)に対して「東京都島嶼部」などと呼ばれる。
「島嶼」は島々を意味する言葉である。厳密に言えば、東京都には23区内にも島が存在する(東京湾上の人工島など)が、それらは「東京都島嶼部」には含めない。なお、23区および多摩地域の総称としては、気象庁が予報等に用いる「東京地方」という呼称があるが、他の場面で一般的に用いられるものではない。
- 行政・政治
島嶼部には東京都の出先機関である支庁が4つ置かれ、2町7村を管轄している(#東京都島嶼部の自治体にて後述)。
東京都議会の選挙区は島嶼部全域で島部選挙区(定数1)を構成し[1]、衆議院の小選挙区では品川区と共に東京都第3区の一部を為す。ナンバープレートは東京運輸支局の直轄地域で「品川」ナンバーが交付される(車庫飛ばしを防止するため、本土への持ち出しは住所変更などの手続きを要する)。
- 地理・歴史
島嶼部は南北1200kmにわたって続く。南方500kmには北マリアナ諸島があり、排他的経済水域が接している。南方諸島(狭義)とマリアナ諸島により、太平洋(狭義)とフィリピン海が分けられている。
東京都心からの距離は、最も近い伊豆大島でも100km以上ある。神奈川県・千葉県・静岡県には伊豆大島よりも都心との距離が近い島がいくつか存在しており、また東京都島嶼部の各島から見ても、静岡県(伊豆半島)や神奈川県のほうが都心よりも地理的には近い。
島嶼部の各島はいずれも江戸時代には天領であり、韮山代官所あるいは島奉行が管轄していた[2]。1871年の廃藩置県後には足柄県、1876年には静岡県の所属となったが、軍事上の重要性や、伊豆諸島の経済交流が東京に結びついていた事実もあり、1878年には東京府の直轄地となった[2]。
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東京都島嶼部の自治体
要約
視点
以下の、2町7村(4支庁)の計9自治体がある。
なお八丈支庁に所属自治体が未定の地域があるため[3]、下記の町村の面積合計は島嶼部の面積合計と一致しない。
東京都島嶼部の郡について
日本の町・村は通常「郡」に属するが、伊豆諸島・小笠原諸島の2町7村は現在、全国唯一の例外として郡が存在しない。正式な住所の表示は「東京都大島町」のように「東京都」の後に直接町村が来る。
ただし、八丈町や三宅村では「東京都八丈島八丈町[4]」「東京都三宅島三宅村[5]」のように島名を挟む表記が用られる。
大島と新島も、島内が複数の村に分かれていた頃は「東京都大島元村[6]」「東京都新島若郷村[7]」のような表記をしていたようである。のちに村々が統合され、両島は「大島町」「新島村」と「島」の字を含む島名全体が自治体名になっている。
伊豆諸島は古代は伊豆国賀茂郡の一部であったが、江戸時代の時点では既に賀茂郡(本土部分=伊豆半島東部)とは切り離して認識されていたとみられる[8]。また小笠原諸島は1876年(明治9年)に日本領が確定した地域で、旧令制国・旧郡に属したことがない。
1878年(明治11年)、政府は郡区町村編制法を制定し、旧郡を基に新たな行政機関としての「郡」を設置することとした。東京府が同法の施行下となったのは同年11月2日(伊豆諸島が東京府に移管された翌日)で、後の東京市にあたる15区と、旧武蔵国の郡に基づいた6郡を設置した[9]が、伊豆諸島は対象に含まれなかった。交通・通信が未発達だった当時、町村制度が施行されなかった離島は全国に複数あったが、いずれも旧令制国時代に郡に属していたり、新たな郡を設置したりしている。しかし伊豆諸島は郡の新設も他郡への編入もされなかった。
郡区町村編制法下の郡には郡役所が設置されていた。これに代わり、伊豆諸島には1881年(明治14年)に「島役所」が置かれた(のちに島庁→支庁に改組)。1880年(明治13年)に東京府に移管された小笠原諸島も同様で、東京府直轄の事務所が置かれていた。1886年(明治19年)には島司が設置された。1888年(明治22年)には新しい町村制、1899年(明治32年)には新しい郡制が本土で施行されたが、これも伊豆・小笠原諸島を含む一部離島では施行されず、1908年(明治41年)から順次島嶼町村制に組み込まれた。
1923年(大正12年)、郡制そのものが廃止され、全国の「郡」は町村名の前に冠される地名としてのみ残った。行政機関としての「郡」が設置されなかった伊豆・小笠原諸島の町村はそのまま、郡を冠することなく現在に至っている。ただし、郡の役割がなくなって久しい平成の大合併期に至っても、町村合併に伴って既存の郡の統合や改称が行われた例は存在する(郡#日本の郡の一覧を参照)。
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東京都島嶼部の島々


伊豆諸島
小笠原諸島
呼称
伊豆諸島と小笠原諸島を総称する呼称はいくつもある。
島部
伊豆・小笠原諸島
伊豆諸島と小笠原諸島の併称。どちらも地理的な呼称で、行政区域としてのニュアンスを含まない場面でも用いられる。
東京諸島
東京諸島(とうきょうしょとう)という名は、東京都の外郭団体である「東京諸島観光連盟」と、2010年代以降東海汽船が自社Webサイト・販促物などで積極的に使っている。ただし観光連盟については組織の性質上、具体的な島について民間人の住む11島についてのみ述べており、火山列島などについては扱っていない。東京諸島観光連盟は、かつて「伊豆七島観光連盟」と称していたが改称され、伊豆七島以外の青ヶ島村や小笠原村も加盟している。
南方諸島
南方諸島(なんぽうしょとう)は「南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」(小笠原返還協定)、「南方連絡事務局設置法」、「小笠原諸島振興開発特別措置法」などの諸法規では小笠原群島・西之島・火山列島と定義されている。これらは、小笠原諸島のうち離れた位置にある南鳥島・沖ノ鳥島を除いた島々である。ただしこの2島も、「南方諸島及びその他の諸島」という表現で一括して扱われている。
これに対し、日本水路協会では伊豆諸島・小笠原諸島を全て包括して「南方諸島」と称している。この場合は「東京都島嶼部」や「東京諸島」と同義である。
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脚注
関連項目
外部リンク
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