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伊達邦隆

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伊達 邦隆(だて くにたか)は、江戸時代後期の武士陸奥国仙台藩一門第四席涌谷伊達家12代(亘理氏30代)当主。

概要 凡例伊達邦隆, 時代 ...

生涯

天保6年(1835年)、伊達義基の子として誕生。幼名は鉉次郎、のち仙台藩12代藩主・伊達斉邦偏諱を受けて、邦隆と名乗る。

天保10年(1839年)6月、父・義基の死去により家督を相続し、涌谷邑主となる。天保13年(1842年)1月、一門角田邑主石川宗光の娘・元子を娶る。弘化4年(1847年)、家臣・鈴木篤親、篤恭親子を江戸の高島秋帆に入門させ洋式砲術を学ばせる。 安政2年(1855年)、領内の郷学学習館を月将館と改称する。

天保年間、義基の代に荒地を開拓して桑園を開いたことから、領内で養蚕を奨励した。

慶応3年(1867年)3月28日死去。享年33。嫡男・胤元が家督を相続した。

系譜

  • 父:伊達義基(1808-1839)
  • 母:但木直行の娘
  • 正室:元子 - 石川宗光の娘
    • 長男:伊達胤元(1857-1882)
    • 長女:千保 - 但木直次(良次)室
    • 次女:厚 - 山本氏室
    • 三女:喜保 - 竹内寿貞
    • 四女:栄 - 八巻知道
    • 五女:郁 - 但木乙橘

偏諱を受けた人物

出典

  • 『仙台人名大辞書』
  • 『東北産業経済史: 仙台藩』

関連項目

仙台藩の家格

先代
伊達義基
涌谷伊達家(亘理氏)
12代(30代):1839 - 1867
次代
伊達胤元
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