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佃 (青森市)

青森市の町 ウィキペディアから

佃 (青森市)
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(つくだ)は青森県青森市地名。1丁目、2丁目、3丁目が設置されている。郵便番号030-0962。

概要 佃, 国 ...

地理

 青森市中心市街地東側に位置する。北で浪打、北東で岡造道、東で小柳、南で中佃、西で松森、北西で花園に隣接する。地内の大半は住宅地となっている。

 二丁目の中心部に、浪打銀座通りの南側に続いて「佃本通り商店街」が、つくだウェザーパーク前まで続く。商店は、北側に続く浪打銀座通りと比べて少なく、南に行くほどまばらになる。近年、商店数の減少は顕著である。

交通

 域内に鉄道はない。主な道路は、次の通りである。

  • 青森市都市計画道路3・3・3合浦公園通り戸山線 – 通称「明の星通り」。二丁目と三丁目の間を通り、北の合浦公園と南の戸山団地方面を結ぶ。沿道には青森県総合検診プラザ・青森市元気プラザのほか、大小の商店等が並ぶ。青森市営バス明の星高校経由戸山団地線、沢山線が通過する。
  • 青森市都市計画道路3・3・5 漁港通り幸畑線– 通称「東青森駅通り」「藤田組通り」。一丁目の西端を通り、北にある青森漁港(港町)・栄町方面と南の古館・幸畑を結ぶ。沿道には小規模の商店等のなかに住宅が点在する。青森市営バス浜館経由戸山団地線が通過する。

 ほか、青森市立浪打小学校南西角付近から、晴雄橋を経由して桜川に至る道路がある。これは、かつて青森市桜川に駐屯していた歩兵第5連隊が、浪打にあった練兵場に向かうための道路であった。

歴史

「佃」とは、もともと、大字松森の小字名であった。かつては水田の多い地域であった。

1928年(昭和3年)地域内に青森県青森測候所(現:青森地方気象台[3]が設置された。その近くには佃グラウンドがあり、野球の試合場等として利用された。

1931年(昭和6年)、現在の佃二・三丁目の場所に青森競馬場に竣工。翌年青森競馬倶楽部が設立され、この競馬場で競馬が開催されたが、1934年(昭和9年)同倶楽部が解散し、以降は開催されていない。

戦後、1949年(昭和24年)になり青森競馬場は青森県の手によって再興されるが、1951年(昭和26年)を最後に開催されなくなった。競馬場のトラックの跡地には現在でも楕円形の道路が残っている。メインスタンドの場所は、現在の青森県総合検診センター、および青森市元気プラザの敷地である。

この地域は市街地に近く、交通の便が良いため、やがて、青森市中心街に通う人々の住宅地となった。1957年(昭和32年)、 青森市立佃小学校が開校し、やがて気象台の南に校舎が設置された。その他、地域内には社宅・公務員官舎等も建てられた。佃本通り沿いにはスーパーマーケット[4]・青森魚菜センター浪打支店[5]をはじめとする商店等が数多く存在した。

1987年(昭和62年)、佃・福田地区の住居表示実施のため、以下のように住所の表記が変更された。

  • 佃一丁目 - 造道字浪打、松森字佃の各一部
  • 佃二丁目 - 松森字佃の一部
  • 佃三丁目 - 松森字佃、小柳字刈田の各一部

1989年(平成元年)、青森地方気象台は花園に移転した。

1998年(平成10年)、青森地方気象台の跡地に、青森市制100周年を記念し、同市100番目の公園としてつくだウェザーパークが作られた。

施設等

  • 青森県総合健診センター
  • 元気プラザ(青森市保健所)
  • つくだウェザーパーク
  • 青森市立佃小学校
  • 青森市佃福祉館
  • 青森佃郵便局
  • 青森魚菜センター浪打支店…鮮魚・野菜等の市場。個人商店が入居。後掲のハッピードラッグと同じ建物。もともとは建物の1階フロアのほとんどが魚菜センターが使用していた。
  • ハッピードラッグ浪打銀座店

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 2 青森県(1985年 角川日本地名大辞典編纂委員会 編)「松森」の項目。
  • 『新青森市史』通史編第3巻 近代(2014年 青森市史編纂委員会 編)

関連項目

脚注

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