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保土ケ谷二俣川線

横浜市の都市計画道路 ウィキペディアから

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保土ケ谷二俣川線(ほどがやふたまたがわせん)は、神奈川県横浜市における都市計画道路保土ケ谷区岩崎町から旭区本村町までを繋ぐ約6,120mの道路として計画された[1]が、2008年平成20年)の見直しにより岩崎町から保土ケ谷区今井町の区間が廃止され、現在では約3,580mの計画道路となっている[2]

都市計画法に基づく名称は「横浜国際港都建設計画道路3・6・5号保土ケ谷二俣川線[2]

概要

当初計画では保土ヶ谷バイパス狩場ICから本村ICまでの区間と並行して延びている路線であるが、後述のとおり環状2号線保土ケ谷区今井町)までの区間は現在では廃止(このうち約2,100mは整備済み)されている[2]

環状2号線との交差付近には今井川の水源がある。沿線に高野山真言宗金剛寺や神奈川県立商工高等学校浄土宗源圓山浄性院などがある。

保土ヶ谷バイパスの南本宿IC付近までの区間は整備済み(その先の神奈川県道40号横浜厚木線までの細い道〈旧道〉も暫定的に本線扱い)であったが、整備事業が進められていた南本宿IC付近から鴨居上飯田線と接続する旭区本宿町までの区間(本宿地区、約400m)について、2025年令和7年)11月19日に開通した[3]。これにより同時に開通した鴨居上飯田線(本宿・二俣川地区)と本線を利用することで、二俣川駅南口から相鉄線陸橋をまたがずに保土ヶ谷バイパスへのアクセスが可能となった[3]後節も参照)。

路線データ

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歴史

  • 1899年明治32年)から1902年(明治35年)の間に、横浜厚木線として開通した[1]
  • 1917年大正6年)に設立された神中軌道(現:相鉄本線)は、この道路に沿ってレールを敷設する計画で軌道特許を申請していた[4]が、1923年(大正12年)の関東大震災後に帷子川を沿う現在のルートへ変更となった。
  • 1936年昭和11年)9月に二俣川から旭区役所前を通過するルート(現在の神奈川県道40号横浜厚木線、通称:厚木街道)が整備され、横浜〜厚木間の交通ルートは八王子街道を経由するものが主要となった。これに伴い、路線名称が横浜厚木線から保土ケ谷二俣川線へと変更になった。

整備事業

要約
視点

保土ケ谷区岩崎町〜保土ケ谷区今井町(廃止)

2008年平成20年)5月に横浜市道路局より公表された「都市計画道路網の見直しの素案」[5]によって起点から初音ケ丘の元町ガード付近まで約360mの未整備区間が変更候補となった。さらに既存の現道が十分な交通機能を有していることに加えて都市計画道路同士は接続していることが望ましいため、2011年(平成23年)12月の都市計画変更で隣接する環状2号線までの整備済区間(約2,100m)と共に廃止された[2]

旭区本宿地区

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保土ヶ谷バイパスの南本宿ICに接続(2025年11月撮影)

保土ヶ谷バイパス南本宿IC付近(交差点)から鴨居上飯田線との接続地点までの区間(本宿地区、約400m)[6]にて、1991年(平成3年)度より事業化が行われていた。本格的な整備が行われるまで長期間かかったが、この区間と並行して整備が進められた鴨居上飯田線の本宿・二俣川地区について2025年令和7年)11月19日に開通し[3]、これらの区間の開通によりさちが丘二俣川駅南口から相鉄線陸橋(さちが丘陸橋)や踏切(鶴ヶ峰10号踏切)、神奈川県道40号横浜厚木線(厚木街道)を介することなく、保土ヶ谷バイパスに乗り入れることが可能となった。

旭区本村地区(事業化検討)

計画上では前述の本宿地区終端部(鴨居上飯田線との接続部)からそのまま北西に延伸し、相鉄本線を超えて旭区本村町にて厚木街道と接続することになっている[7]が、こちらは同線の地下化を行う鶴ヶ峰駅付近の連続立体交差事業2033年度事業完了予定)[8]を契機に、「本村地区」[9]として事業化に向けた検討を進めていく方針である[10][11]

事業の進捗状況

地理

通過する自治体

経路および交差する道路

交差する鉄道・河川

脚注

外部リンク

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