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倉田弘

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倉田 弘(くらた ひろし、1930年昭和5年〉9月21日[1][2] - 2018年平成30年〉4月15日[3])は、昭和時代後期から平成時代の政治家茨城県新治郡桜村長、つくば市長。

経歴

茨城県新治郡桜村栗原(現つくば市栗原)出身[3]。1948年(昭和23年)茨城県立土浦中学校卒業[1][2]。桜村助役を経て、1983年(昭和58年)桜村長に就任した[1][2]。村長在任中は合併協議が難航する中で、6町村の合併を呼び掛け、協議をまとめ上げ、新市誕生に尽くした[3]。1987年(昭和62年)11月30日、筑波郡谷田部町大穂町豊里町、新治郡桜村の3町1村が新設合併しつくば市が誕生。当初の市役所は旧第一圏民センター(現市民ホールやたべ)に置かれ、市長職務代理者には木村操旧谷田部町長が就任し、倉田は稲葉勝行旧大穂町長、野堀豊定旧豊里町長とともに副市長に就任した[4]。翌年の1988年(昭和63年)1月17日、市長選挙により初代つくば市長に当選した[5]。初代市長に就任後は桜地区の副市長は空席となり、市長職務代理者の木村操が谷田部地区担当の副市長に就任した[4]。市長在任中は常磐新線(現つくばエクスプレス)の地元案決定に向けて市議会と動くなど誘致に尽力した[6]。1991年(平成3年)落選した[2]。市長退任後は茨城県畜産協会副会長を歴任した[7]

2018年(平成30年)4月15日、入院先の筑波記念病院で死去した[3]

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親族

脚注

参考文献

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