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六条藤家

平安時代後期から鎌倉時代にかけての公家・歌道家。藤原北家末茂流の庶流。 ウィキペディアから

六条藤家
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六条藤家(ろくじょうとうけ)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけての公家歌道家。藤原北家末茂流の庶流。藤原隆経の子・顕季を家祖とする。

概要 六条藤家, 本姓 ...


概要

家祖顕季は母が白河院乳母であった縁から、院近臣として政界に勢力をもつ一方、歌壇では歌道家としての地位を築き、人麿影供歌会の創始者としても知られる。その子・藤原長実鳥羽天皇の寵愛を受けた美福門院の実父で一族は近衛天皇の外戚として政界に大きな影響力を与えたが、長実の弟である顕輔は歌人としても活躍し、崇徳院の命で勅撰集詞花和歌集』を撰進した。その跡を継いだ清輔顕昭は実践のみならず、歌論においても才能を示し、御子左家藤原俊成寂蓮らに対抗する。一族からは、『千五百番歌合』の判者である季経、『新古今和歌集』の撰者である有家、鎌倉歌壇において活躍した顕氏、『続古今和歌集』の撰者である行家等を輩出したが、『万葉集』を尊重する理知的な六条家の歌風は、訓詁・注釈に拘泥して衒学趣味に堕する事が多かったため、後鳥羽院歌壇以降、三代集を尊重した御子左家に中核勢力を取って代わられるに至り、家としても南北朝期に絶家した。

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系譜

実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。
藤原隆経
 
 
 
顕季
 
 
 
顕輔
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
清輔重家顕昭季経
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
経家顕家有家保季
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
家衡知家顕氏
紙屋河家
 
 
 
 
 
家清行家
 
 
 
 
 
盛家隆博
 
 
 
隆教
 
 
 
隆朝
 
 
 
行輔
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出典

  • 竹下豊 「六条藤家をめぐって―歌道家の成立と展開」(『女子大文学 国文編』第30号 大阪女子大学国文学科、1979年昭和54年)3月、NCID AN00118493
  • 菅原正子 「六条家(1)」(小和田哲男監修 『日本史諸家系図人名辞典』 講談社2003年(平成15年)、ISBN 9784062115780

関連項目

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