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内守谷村
日本の茨城県北相馬郡にあった村 ウィキペディアから
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内守谷村(うちもりやむら)は、郡区町村編制法以前より1956年(昭和31年)4月1日まで存在した茨城県北相馬郡の村。現在の茨城県常総市南西部。
地理
茨城県北相馬郡西部にあった村。旧北相馬郡のうち鬼怒川西岸に存在した3村(1889年以前は4村)のうちの1つで、旧村域の東端には鬼怒川が流れる。
現在の地名では内守谷町、内守谷町きぬの里に相当する。
地域
- 大字なし
- (字)鹿小路、長ノ入、向地ほか
歴史
942年(天慶5年)に開創され、古くは守谷郷と称した(景行天皇の時代(71年 - 130年)より、現在の守谷市中心部を守谷郷と称したが、それとは別である)。しばらくは内本郷と新郷とに分かれていたが、1185年(文治元年)に合併し、それ以降内守谷となっている。 1954年(昭和29年)3月時点では、北相馬郡の鬼怒川西岸3村(坂手村、菅生村、内守谷村)での合併案が出されていたが、同年6月17日には菅生村、小絹村との合併案に変更された(坂手村は同年7月に水海道市に編入)。その後、菅生村と共に水海道市に編入される案が示され、1956年(昭和31年)4月1日に旧結城郡を中心に構成されていた水海道市(常総市)に編入された[1]。なお、現在では旧北相馬郡のうち、鬼怒川西岸3村にあたる地域は県西地域、東岸は県南地域に属する。
沿革・年表
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地域の変遷
市町村域
施設
- 内守谷村立内守谷小学校
- 玉台橋
脚注
関連項目
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