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結城郡
茨城県(下総国)の郡 ウィキペディアから
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結城郡(ゆうきぐん)は、上古、天富命が穀の木を栽培した地と伝えられる下総国(茨城県)の郡、現在の結城郡は以下の1町よりなる。
- 八千代町(やちよまち)

古代
『古語拾遺』によれば、神武東征において橿原宮を造営した天富命が、阿波国に続いて房総を開拓し、穀の木の生育した当地は「結城郡」と言われた。古代より、ふさ(麻)やゆう(コウゾ属の繊維)の産地として「総の国」のゆうきと呼ばれ、令制国の下総国に属した。
明治維新後
要約
視点
郡域
近代以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。下記のほか新宿新田(幕府領)が存在したが、記載されていない。(1町51村)
- 慶応4年6月27日(1868年8月15日) - 結城藩領以外の全域と、結城藩領のうち林村、作ノ谷村、上成村、武井村が常陸知県事の管轄となる。
- 明治初年に小森新田が小森村へ、中村新田が中村へそれぞれ編入。水口村から水口新田が分立。(1町50村)
- 明治2年2月9日(1869年3月21日) - 常陸知県事の管轄地域に若森県を設置。
- 明治4年
- 1873年(明治6年)6月15日 - 印旛県が木更津県と統合して千葉県が発足。
- 1875年(明治8年)5月7日 - 千葉県管下の下総国のうち利根川以北の区域が茨城県に移管。
- 1878年(明治11年)
- 1881年(明治14年) - 江口新田が江口村に改称。
- 1882年(明治15年) - 大山新田が大山村に改称。
- 1885年(明治18年) - 結城寺村が上山川村に編入。(1町48村)
- 1886年(明治19年) - 作野谷村が結城町に編入。(1町47村)
町村制以降の沿革

- 1889年(明治22年)
- 1896年(明治29年)
- 1897年(明治30年)8月24日 - 石下村が町制施行して石下町となる。(3町24村)
- 1923年(大正12年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 1935年(昭和10年)時点での当郡の面積は259.69平方km、人口は109,114人(男53,890人・女55,224人)[1]。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)1月1日(1町3村)
- 1955年2月11日 - 名崎村・猿島郡幸島村・八俣村が合併して猿島郡三和村(現・古河市)が発足し、郡より離脱。(1町2村)
- 1972年(昭和47年)2月1日 - 八千代村が町制施行して八千代町となる。(2町1村)
- 2006年(平成18年)1月1日(1町)
- 千代川村が下妻市に編入。
- 石下町が水海道市に編入。水海道市は即日改称して常総市となる。
変遷表
自治体の変遷
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行政
- 結城・豊田・岡田郡長
- 結城郡長
脚注
参考文献
関連項目
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