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加藤恒平

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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加藤 恒平(かとう こうへい、1989年6月14日 - )は、和歌山県新宮市出身のプロサッカー選手ポジションは、ミッドフィールダー。元日本代表

概要 加藤 恒平, 名前 ...
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来歴

要約
視点

小学校1年の時に新宮サッカースポーツ少年団に入団。サッカーにのめり込み、中学進学にあわせ母方の祖母宅がある千葉県に移った。ジェフユナイテッド千葉ジュニアユース舞浜、ジェフユナイテッド千葉U-18で技術を磨いた後、立命館大学に進学した[1]

2010年、大学3年の夏休みに、アルゼンチンのクラブ入団を目指し渡航。2か月ほど滞在したが、怪我のため入団テストを受けられず帰国。2011年7月に再び渡航。「セファール」と呼ばれる、クラブ未契約の選手が共同生活する施設で約7か月暮らし、プロ契約を目指した。アルゼンチン4部リーグのクラブから高評価を受け、契約までこぎつけるも、試合出場に必要なビザが下りず断念し、帰国[1]

帰国後の2012年2月中旬から3週間FC町田ゼルビアに練習生として参加し、3月正式に入団した[2]。しかしチームがJFLに降格したことに伴い、2013年1月に「上のカテゴリーでプレーしたい」という意志が強かったため、町田を退団することとなった[3]

2013年8月、モンテネグロ1部FKルダル・プリェヴリャへ移籍[4]。在籍2シーズン目の2014-15シーズンにはリーグベストイレブンに選出される活躍で、チームを1部制覇に導いた[5]

2015年6月、ポーランド1部リーグTSポドベスキジェ・ビェルスコ=ビャワへ移籍[5]。2015-16シーズン開幕戦でいきなりマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、その後も活躍を続けたものの、チームは2部に降格[6]

2016年6月、ブルガリア1部リーグPFCベロエ・スタラ・ザゴラへ移籍[6]

2017年5月25日日本代表に初選出された[7] が、同年6月7日シリアとの親善試合には出場せず、6月13日FIFAワールドカップ・アジア3次予選イラク戦に向けたメンバー23名からは外れた。

2018年3月27日、サガン鳥栖へ完全移籍[8]。Web上で行われた「もうひとつのルヴァンカップ」という「ルヴァンプライムスナック」(ヤマザキビスケットのスナック菓子)を使ったレシピをJ1からJ3までのクラブが発表し、それをランキングで競う企画で、元スペイン代表のフェルナンド・トーレスと作った「カトーレスサンド」(スナックに団子を挟んだもの)が1位に選ばれている[9][10]。しかし、リーグ戦1試合、カップ戦4試合のみの出場で1年での退団となった[11]

2019年3月、ポーランド3部のヴィジェフ・ウッチに入団[12]。同年7月まで所属した後、10月にジブラルタル1部セント・ジョセフスFCに入団した。

2020年2月、モンテネグロ1部FKイスクラ・ダニロヴグラードに入団[13]

2021年7月20日、 元川崎フロンターレ中村彰がオーナーを務めるポルトガルリーガ3アナディアFC英語版に加入[14]

2021年12月、タイ・リーグ1チェンライ・ユナイテッドFCに移籍[15]

2022年8月、FC琉球へ加入した[16]。同年10月29日、契約満了による退団が発表された[17]

2023年8月、再びモンテネグロ1部FKイエゼロに移籍した。

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プレースタイル

アルゼンチンに渡った当初はサイドの選手だったが、「セファール」でコンバートされてからは激しい守備と縦に素早くボールを繋げるスタイルが注目されるボランチとしてプレーしている[18]

所属クラブ

個人成績

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代表歴

タイトル

クラブ

FKルダル・プリェヴリャ

個人

プルヴァ・ツルノゴルスカ・フドバルスカ・リーガ
  • ベストイレブン:2014 - 2015

脚注

関連項目

外部リンク

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