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加藤春雄
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加藤 春雄(かとう はるお、1917年3月25日[1] - 1961年2月27日[2])は、岐阜県[2] 出身のプロ野球選手(外野手)。後に、加藤久幸に改名。
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来歴・人物
岐阜商時代は投手として甲子園に出場し、1933年選抜大会と1935年選抜大会で優勝[2]。藤村富美男らと対戦した。その後明治大学に進学し、社会人野球の大日本土木では外野手として都市対抗野球大会2連覇に貢献[2]。
1950年の近鉄パールス結成に32歳で参加し、主将[1]・3番打者として活躍。1950年7月27日の東急戦で、弟・政一と共にプロ野球史上初の兄弟アベック本塁打を記録。1953年に引退。
引退後の1954年から助監督となった[1] が、1957年6月22日に芥田武夫監督がシーズン途中で休養したため、残り試合の監督代行を務めた。1958年には久幸に改名し、正式に監督に就任したが、球団史上ワースト記録となる勝率.238でシーズンを終え、終了後に監督を辞任した。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別監督成績
背番号
- 27 (1950年 - 1953年)
- 30 (1954年 - 1958年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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