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北小路俊昌
江戸時代後期の公家、明治期の官僚 ウィキペディアから
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北小路 俊昌(きたこうじ としまさ)は、江戸時代後期の公家、明治期の官僚。本姓は大江氏。官位は従五位。男爵。
経歴
北小路俊文の子として生まれ、北小路家本家・北小路俊常の五男として育てられる[1]。叔父・北小路俊威の養子となる[1]。
養父の死去により天保14年2月29日(1843年3月29日)家督を継承[1]。孝明天皇の皇子祐宮の蔵人となり、中務大丞に任じられる。祐宮が明治天皇として即位すると堂上家に列し、昇殿を許される。
1868年伊那県知事に就任する。伊那県は当初、県内に流布していた贋二分金を回収するため、豪農商に商社を設立させ、商社札を発行したが、政府が府藩県による私製紙幣の製造停止を命じたため、やむなく禁止されていたオランダ商人からの借り入れを断行し、その返済に税金を流用した伊那県商社事件が発生した。北小路はその責任を取らされる形で明治2年(1870年)に罷免された。明治11年(1878年)には宮内省維新前諸儀式取調を命じられる。明治17年(1884年)7月8日に男爵に叙されたが、同年に死去した。
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系譜
著書
- 『北小路俊昌手記』
脚注
参考文献
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