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山ノ内 (鎌倉市)

神奈川県鎌倉市の地名 ウィキペディアから

山ノ内 (鎌倉市)
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山ノ内(やまのうち)は、鎌倉市大字住居表示未実施区域[5]

概要 山ノ内, 国 ...
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建長寺

地理

山之内などとも書かれる。また、北鎌倉駅があるため北鎌倉という通称で知られ、建長寺円覚寺東慶寺浄智寺明月院などの寺院で有名な観光地。市の区分では鎌倉地域(狭義の鎌倉)ではなく大船地域に入るが、鎌倉地域のすぐ北西に接し、巨福呂坂および亀ヶ谷坂の切通しで鎌倉地域につながる。

北西にある大船方面に開けた谷状の地形であり、その谷地を鎌倉街道横須賀線が並行して走る。 南北丘陵地から鎌倉街道に向けて開けた小規模な谷戸は、1つの谷戸全体を1寺院が占めるように建てられている場所が多い。

北鎌倉駅開設後に別荘・住宅が増えたが、地内西側以外はあまり開発されておらず、特に南部・北東部の丘陵地帯には自然が多く残る。

山岳

地価

住宅地の地価は、2023年令和5年)1月1日公示地価によれば、山ノ内字東瓜ケ谷1183番32外の地点で13万3000円/m2となっている[6]

歴史

古くは山内庄(現在の大船から横浜市栄区戸塚区方面まで含む)の一部であり[7]、この一帯を領したのが山内氏である。山内首藤俊通を家祖とするこの家は後世、単に山内を称するに至った。有名な子孫には傍流の子孫を称する山内一豊がいる。[8]鎌倉時代には有力武家の屋敷や建長寺円覚寺が造られて栄えた。室町時代には関東管領上杉氏山内上杉家)が居を構え、現在でも「管領屋敷」という地名(北鎌倉駅近く)が残る。明治時代に鎌倉郡小坂村(のち大船町)の一部となり、1948年鎌倉市に編入。

史跡

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円覚寺舎利殿(国宝)
  • 東瓜ヶ谷やぐらなど、地内各所にやぐらが残る。
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世帯数と人口

2024年(令和5年)6月1日現在(鎌倉市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

さらに見る 大字, 世帯数 ...

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

さらに見る 年, 人口 ...

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

さらに見る 年, 世帯数 ...

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年7月時点)[15][16]

さらに見る 番地, 小学校 ...

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[17]

さらに見る 大字, 事業所数 ...

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

さらに見る 年, 事業者数 ...

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

さらに見る 年, 従業員数 ...
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交通

鉄道

バス

道路

施設

教育機関

美術館

その他

北鎌倉を舞台とした作品

脚注

参考文献

関連項目

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