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千秋公園
秋田県秋田市にある公園 ウィキペディアから
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千秋公園(せんしゅうこうえん)は、秋田県秋田市の久保田城跡にある都市公園(総合公園)及び地名である[1]。「千秋公園(久保田城跡)」として秋田市指定名勝に指定されている[2][3]。

概要
久保田城の本丸・二の丸跡地に整備された。面積は16.29ha。名称は秋田市出身の漢学者狩野良知による命名(当初は「千秋園」[4])で、秋田の「秋」に長久の意の「千」を冠し、長い繁栄を祈ったものと伝えられる。
園内には緑が多く、復元された久保田城御隅櫓・本丸表門が藩政時代の雰囲気を今に伝えるほか、園内にはあきた芸術劇場ミルハスや秋田市立中央図書館明徳館、秋田市文化創造館、秋田市立佐竹史料館などがある。
歴史
→公園となる以前や復元建造物については「久保田城 § 歴史・沿革」を参照
- 1890年(明治23年) - 陸軍省から旧藩主の佐竹氏へ城跡が払い下げられ、うち本丸・二の丸を秋田市が佐竹氏から借り受け公園とする。
- 1892年(明治25年)
- 1896年(明治29年) - 秋田市から秋田県へ移管。長岡安平の設計により整備される。
- 1899年(明治32年)5月 - 東根小屋町(現在の中通二丁目)にあった八幡神社と秋田神社が本丸に移転してくる。
- 1907年(明治40年)12月 - 八幡神社と秋田神社を合祀し、八幡秋田神社と改称する。
- 1909年(明治42年) - 三ノ丸八幡山の八幡神社(藩政期の正八幡社)社殿を秋田県教育会が購入・修繕し、南秋田郡寺内村八橋の日吉八幡神社境内にあった平田神社を移転。更に佐藤信淵を合祀し、彌高神社と改称する。
- 1913年(大正3年) - 渋江政光君三百年祭記念碑建立(秋田藩家老の記念碑。後に2020年度林業遺産の一つに認定[6])
- 1916年(大正5年) - 彌高神社が二ノ丸厩門前(現在地)に移転する。
- 1950年(昭和25年)10月 - 秋田県児童会館付属動物園(後の大森山動物園)が開園する。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 秋田市に移管。動物園を秋田市児童動物園と改称する。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 付近の地名が千秋公園と改称される(後述)。
- 1970年(昭和45年)10月19日 - 動物園からライオンが逃走。園内のトイレに逃げ込んだところを射殺[7]。
- 1972年(昭和47年)9月1日 - 動物園が秋田市浜田の大森山に移転する。
- 1984年(昭和59年) - 前年12月に没した佐竹宗家第35代(旧侯爵4代)・佐竹義栄の遺志に従い、公園用地(約14.6ha)が佐竹氏から秋田市へ寄贈される。
- 1990年(平成2年) - 財団法人日本さくらの会によって日本さくら名所100選に選定される。
- 2005年(平成17年)1月9日 - 八幡秋田神社が放火により焼失する。
- 2008年(平成20年)3月25日 - 公園が秋田市指定名勝に指定される[3]。
- 2008年(平成20年)12月 - 八幡秋田神社を再建する。
- 2022年(令和4年)12月12日 - 秋田県の「未来に伝えたい秋田のインフラ50選」に千秋公園(公園)が選出される[8]。
- 2024年(令和6年)7月11日 - 大手門の堀に浮体式の遊歩道が開通[9]。
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イベント

- 桜まつり(4月中旬~下旬)
- つつじまつり(5月中旬~下旬)
アクセス
地名としての千秋公園
→詳細は「千秋 (秋田市)」を参照
1966年(昭和41年)4月1日、住居表示導入に伴い町名整理が行われ、公園内(現在の明徳小学校敷地を含む)の地名が「千秋公園」となった。他にも公園周辺に「千秋」を冠した地名が新たに作られ、総じて「千秋地区」とされる。
脚注
関連項目
外部リンク
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