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南光利
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南 光利(みなみ みつとし、1867年1月24日(慶応2年12月19日[1])- 1934年(昭和9年)12月1日[1][2])は、明治から昭和期の神職、政治家、奈良華族。貴族院男爵議員。幼名・岩丸[3]、岩麿[1][4]。

経歴
山城国京都で雅楽部長・竹屋光昭の二男として生まれ、広橋胤保の五男として成長[1][5]。明治5年3月28日(1872年5月5日)、元興福寺修南院住職・南光度の養子となる[1][3][4][5]。1873年(明治6年)4月22日[注 1]、養父の隠居に伴い家督を継承[1][4]。1875年(明治8年)3月28日、華族に列した[3]。1880年(明治13年)8月、光利と改名[4]。1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した[1][4][5][6]。
陸軍予科士官学校を修了[2]。1892年(明治25年)金刀比羅宮宮司に就任[2][5]。その他、大礼使典儀官などを務めた[5]。
1897年(明治30年)7月10月、貴族院男爵議員に選出され[7][8]、1911年(明治44年)7月9日まで2期在任した[2]。
親族
脚注
参考文献
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