トップQs
タイムライン
チャット
視点
古代ローマの独裁官一覧
ウィキメディアの一覧記事 ウィキペディアから
Remove ads
古代ローマの独裁官一覧(こだいローマのどくさいかんいちらん)は共和政ローマの独裁官(ディクタトル)を年毎に記載した一覧。
概要
発掘されたFasti Capitolini には歴代執政官の名と同時に、独裁官やケンソルの名が刻まれているが、紀元前483年以降しか残っておらず、削れて読めない部分も多い。またティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』で残っている第一デカーデ (1~10巻)は紀元前293年までで、第二デカーデ (11~20巻)は失われており、数名の時期がはっきりしない。
Fasti に残されているものについては、独裁官名の後に騎兵長官 (マギステル・エクィトゥム)が記されており、その次に指名された理由も書かれている。
- rei gerundae causa、公務のため (戦争など)
- clavi figendi causa、釘打ちの儀式のため (厄除けの儀式)
- comitiorum habendorum causa、民会開催のため (執政官選挙)
の3つの理由が多い。
リストでは、年、独裁官名、騎兵長官名を以下の形式で表記する。
- 年
- 独裁官名 (ローマ数字は回数)、理由など
- 騎兵長官名
Remove ads
一覧
紀元前6-5世紀
- 紀元前501年[1]
- ティトゥス・ラルキウス・フラウス、初代独裁官 (前498年説も[2])
- 紀元前499年[3]
- アウルス・ポストゥミウス・アルブス・レギッレンシス、レギッルス湖畔の戦いを指揮 (前496年とも)
- 紀元前494年[4]
- マニウス・ウァレリウス・マクシムス
- クイントゥス・セルウィリウス・プリスクス・ストルクトゥス
- 紀元前463年[5]
- ガイウス・アエミリウス・マメルクス、リドゥスの著作にしか記録がない
- 紀元前458年[6]
- ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス、公務のため
- ティトゥス・タルクィニウス・フラックス
- 紀元前439年[7]
- ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス II、スプリウス・マエリウスを叛逆罪で処刑
- ガイウス・セルウィリウス・アハラ
- 紀元前437年[8]
- マメルクス・アエミリウス・マメルキヌス
- ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス (紀元前428年の執政官)
- 紀元前435年[9]
- クィントゥス・セルウィリウス・プリスクス・フィデナス、フィデナエを陥落させる
- ポストゥミウス・アエブティウス・ヘルウァ・コルニケン
- 紀元前434年[10]
- マメルクス・アエミリウス・マメルキヌス II、ケンソルの任期を1年半に短縮
- 紀元前431年[11]
- アウルス・ポストゥミウス・トゥベルトゥス
- ルキウス・ユリウス・ユッルス
- 紀元前426年[12]
- マメルクス・アエミリウス・マメルキヌス III
- 紀元前418年[13]
- クィントゥス・セルウィリウス・プリスクス・フィデナス II、公務のため
- ガイウス・セルウィリウス・アクシッラ
- 紀元前408年[14]
- プブリウス・コルネリウス・ルティルス・コッスス、公務のため
- ガイウス・セルウィリウス・アハラ
紀元前4世紀
- 紀元前396年[15]
- マルクス・フリウス・カミッルス、公務のため。ウェイイを陥落させる
- プブリウス・コルネリウス・マルギネンシス
- 紀元前390年[16]
- マルクス・フリウス・カミッルス II、ガリア人からローマを救う
- ルキウス・ウァレリウス・ポプリコラもしくはポティトゥス
- 紀元前389年[17]
- マルクス・フリウス・カミッルス III
- ガイウス・セルウィリウス・アハラ
- 紀元前385年[18]
- アウルス・コルネリウス・コッスス (紀元前385年の独裁官)
- ティトゥス・クィンクティウス・キンキナトゥス・カピトリヌス
- 紀元前380年[19]
- ティトゥス・クィンクティウス・キンキナトゥス・カピトリヌス、公務のため
- アウルス・センプロニウス・アトラティヌス
- 紀元前368年[20]
- マルクス・フリウス・カミッルス IV、公務のため。選出に瑕疵がありすぐ辞任
- プブリウス・マンリウス・カピトリヌス、公務のため
- ガイウス・リキニウス・カルウス
- 紀元前367年[21]
- マルクス・フリウス・カミッルス V、公務のため
- ティトゥス・クィンクティウス・キンキナトゥス・カピトリヌスもしくはポエヌス
- 紀元前363年[22]
- ルキウス・マンリウス・カピトリヌス・インペリオスス、釘打ちの儀式のため
- ルキウス・ピナリウス・ナッタ
- 紀元前362年[23]
- アッピウス・クラウディウス・クラッスス・インレギッレンシス、公務のため
- -・-・スカ-ウ-ラ (Fasti にしかなく一部しか読めない)
- 紀元前361年[24]
- ティトゥス・クィンクティウス・ポエヌス・カピトリヌス・クリスピヌス、公務のため
- 紀元前360年[24]
- クィントゥス・セルウィリウス・アハラ、公務のため
- 紀元前358年[25]
- ガイウス・スルピキウス・ペティクス
- 紀元前356年[26]
- ガイウス・マルキウス・ルティルス (紀元前357年の執政官)、初のプレブス出身独裁官
- 紀元前353年[27]
- ティトゥス・マンリウス・インペリオスス・トルクァトゥス
- 紀元前352年[28]
- ガイウス・ユリウス・ユッルス (紀元前358年の独裁官)
- ルキウス・アエミリウス・マメルキヌス (紀元前366年の執政官)
- 紀元前351年[29]
- マルクス・ファビウス・アンブストゥス (紀元前360年の執政官)
- 紀元前350年[30]
- ルキウス・フリウス・カミッルス (紀元前349年の執政官)、選挙のため
- プブリウス・コルネリウス・スキピオ
- 紀元前349年[31]
- ティトゥス・マンリウス・インペリオスス・トルクァトゥス II、選挙のため
- 紀元前348年[32]
- 不明、選挙のため
- 不明
- 紀元前345年[33]
- ルキウス・フリウス・カミッルス II、紀元前349年の執政官もしくは紀元前338年の執政官
- 紀元前344年[34]
- プブリウス・ウァレリウス・プブリコラ (紀元前352年の執政官)
- クィントゥス・ファビウス・アンブストゥス
- 紀元前342年[35]
- マルクス・ウァレリウス・コルウス
- 紀元前340年[36]
- ルキウス・パピリウス・クラッスス (紀元前336年の執政官)
- 紀元前339年[37]
- クィントゥス・プブリリウス・ピロ、この年の執政官。プブリリウス法定める
- デキムス・ユニウス・ブルトゥス・スカエウァ
- 紀元前337年[38]
- ガイウス・クラウディウス・インレギッレンシス
- ガイウス・クラウディウス・ホルタトル
- 紀元前335年[39]
- ルキウス・アエミリウス・マメルキヌス・プリウェルナス
- 紀元前333年[40]
- プブリウス・コルネリウス・ルフィヌス、独裁官の年
- マルクス・アントニウス
- 紀元前332年[41]
- マルクス・パピリウス・クラッスス
- 紀元前331年[42]
- グナエウス・クィンクティウス・カピトリヌス、釘打ちの儀式のため
- 紀元前327年[43]
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス (紀元前331年の執政官)
- スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌス・カウディヌス
- 紀元前324年[44]
- ルキウス・パピリウス・クルソル (紀元前326年の執政官)、独裁官の年
- 紀元前322年[45]
- アウルス・コルネリウス・コッスス・アルウィナ
- 紀元前321年[46]
- クィントゥス・ファビウス・アンブストゥス、執政官選挙のために立てられるも選出に瑕疵があり辞任
- マルクス・アエミリウス・パプス、執政官選挙を行えずインテルレクス制へ
- ルキウス・ウァレリウス・フラックス
- 紀元前320年[47]
- ガイウス・マエニウス、査問のため
- ルキウス・コルネリウス・レントゥルス (紀元前327年の執政官)、公務のため
- ティトゥス・マンリウス・インペリオスス・トルクァトゥス III、選挙のため
- 紀元前316年[48]
- ルキウス・アエミリウス・マメルキヌス・プリウェルナス II、公務のため
- 紀元前315年[49]
- クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルッリアヌス、公務のため
- クィントゥス・アウリウス・ケッレタヌス、戦死
- ガイウス・ファビウス・アンブストゥス、補充
- 紀元前314年[50]
- ガイウス・マエニウス II、公務のため
- 紀元前313年[51]
- ガイウス・ポエテリウス・リボ・ウィソルス、公務のため
- (クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルッリアヌス)、シケリアのディオドロスの説[52]
- (マルクス・フォスリウス・フラッキナトル III)、リウィウスの説[53]
- 紀元前312年[54]
- ガイウス・スルピキウス・ロングス、公務のため
- 紀元前309年[55]
- ルキウス・パピリウス・クルソル (紀元前326年の執政官) II、公務のため。独裁官の年
- 紀元前306年[56]
- プブリウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス、選挙のため
- 紀元前302年[57]
- ガイウス・ユニウス・ブブルクス・ブルトゥス、公務のため
- マルクス・ティティニウス
- 紀元前301年[58]
- マルクス・ウァレリウス・コルウス、独裁官の年
紀元前3世紀
- 紀元前287年[59]
- クィントゥス・ホルテンシウス、ホルテンシウス法成立
- 不明
- 紀元前292年~285年[60][注釈 1]
- マルクス・アエミリウス・バルブラ
- アッピウス・クラウディウス・カエクス
- プブリウス・コルネリウス・ルフィヌス
- 不明
- 紀元前280年[61]
- グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス・マクシムス、選挙のため
- 不明 (Fasti 読めず)
- 紀元前263年[62]
- グナエウス・フルウィウス・マクシムス・ケントゥマルス、釘打ちの儀式のため
- 紀元前257年[63]
- クィントゥス・オグルニウス・ガッルス、祝祭のため
- マルクス・ラエトリウス・プランキアヌス
- 紀元前249年[64]
- マルクス・クラウディウス・グリキア、出自が問題とされ即解任
- アウルス・アティリウス・カラティヌス、公務のため。独裁官として初めてイタリア外に出征
- 紀元前246年[65]
- ティベリウス・コルンカニウス、選挙のため
- 紀元前231年[66]
- ガイウス・ドゥイリウス、選挙のため
- 紀元前224年[67]
- ルキウス・カエキリウス・メテッルス (紀元前251年の執政官)、選挙のため
- 紀元前221年[68][注釈 2]
- クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス
- 紀元前217年[69]
- クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス II、インテルレクスとして。対ハンニバル
- ルキウス・ウェトゥリウス・ピロ (紀元前220年の執政官)、選挙のため
- 紀元前216年[70]
- マルクス・ユニウス・ペラ、公務のため。カンナエの戦い後の軍再編
- マルクス・ファビウス・ブテオ、Fasti の記載なし。元老院再編
- 紀元前213年[71]
- ガイウス・クラウディウス・ケント、選挙のため
- 紀元前210年[72]
- クィントゥス・フルウィウス・フラックス、選挙のため
- 紀元前208年[73]
- ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス、公務と選挙のため
- 紀元前207年[74]
- マルクス・リウィウス・サリナトル、選挙のため
- 紀元前205年[75]
- クィントゥス・カエキリウス・メテッルス、選挙のため
- 紀元前203年[76]
- プブリウス・スルピキウス・ガルバ・マクシムス、選挙のため
- 紀元前202年[77]
- ガイウス・セルウィリウス・ゲミヌス、選挙のため
紀元前1世紀
- 紀元前82年[78]
- ルキウス・コルネリウス・スッラ・フェリクス、国家再編のため
- 紀元前49年[79]
- ガイウス・ユリウス・カエサル、選挙のため
- 指名なし
- 紀元前47年[80]
- ガイウス・ユリウス・カエサル II、公務のため
- 紀元前45年[81]
- ガイウス・ユリウス・カエサル III、公務のため
- 紀元前44年[82]
- ガイウス・ユリウス・カエサル IV、公務のため、終身独裁官就任
Remove ads
脚注
参考文献
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads