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台湾総督府内務局
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台湾総督府内務局(たいわんそうとくふないむきょく)は、台湾総督府に置かれた内部部局。主に地方行政の担当部門である。名称は、内務部、総務局、内務局、地方部などと変遷した。
概要
1895年(明治28年)5月、台湾総督府が設置され、その民政局に内務部が設置された。これが内務局の嚆矢である。1897年(明治30年)11月、内務部が廃止された。
1901年(明治34年)11月、民政部に総務局が設置された。1909年(明治42年)10月、総務局を内務局に改編。1911年(明治44年)10月、内務局を廃止し地方部を設置した。1919年(大正8年)6月、地方部が廃止され再度、内務局が設置された。
1942年(昭和17年)11月、内務局を総務局に改編したが、1943年(昭和18年)12月、行政組織の整理により総務局を廃止し、その業務を総督官房と新設の鉱工局へ移管した。
沿革
- 1895年(明治28年)
- 1896年(明治29年) - 県治課、警保課、監獄課の三課となる。
- 1897年(明治30年)11月 - 内務部が廃止され[2]、民政局に県治課、警保課などを置く。
- 1898年(明治31年)6月 - 民政局が民政部となる。
- 1901年(明治34年)11月 - 民政部に総務局を設置[3]。外事課、地方課、法務課、学務課、図書編修官を置く。
- 1909年(明治42年)10月 - 総務局を内務局に改編し[4]、庶務課、地方課、警察課、法務課、学務課、衛生課を置く。
- 1911年(明治44年)10月 - 内務局を廃止し地方部を設置[5]。地方課、地理課を置く。
- 1919年(大正8年) - 地方課、地理課、社寺課の三課となる。
- 1920年(大正9年)9月 - 社寺課、州庁課、市街庄課、学務課、編修課、地理課の六課となる。
- 1924年(大正13年)12月 - 土木課、地方課、文教課の三課となる。測候所を所掌する[8]。
- 1926年(大正15年)10月 - 文教課が独立し文教局を設置[9]。
- 1931年(昭和6年) - この年の設置課は、地方課、地理課、土木課の三課。
- 1941年(昭和16年) - この年の設置課は、地方課、地理課、土木課、兵事防空課の四課。
- 1942年(昭和17年)11月 - 内務局を総務局に改編し[10]、総務課、審議室、地方課、物資動員課、労政課、統計課を置く。
- 1943年(昭和18年)12月 - 行政機構の整理により総務局を廃止[11]。
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機構
最終の組織
- 総務局
- 総務課、審議室、地方課、物資動員課、労政課、統計課
歴代局長・部長
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脚注
参考文献
関連項目
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