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台湾鉄路管理局LDK50型蒸気機関車
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LDK50型は、かつて台湾鉄路管理局に在籍した、タンク式蒸気機関車である。
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概要
もとは、日本統治時代の台湾総督府鉄道が1915年(大正4年)から762mm軌間の台東線で使用するために導入した、車軸配置0-8-0(D)、運転整備重量20トン、2気筒単式のサイドタンク機である。主に貨物列車の牽引と入換用に使用された。
最初の3両は、アメリカのH.K.ポーター社から輸入されたが、その後1938年(昭和13年)までに日本のメーカー3社で10両が模倣生産された。長期にわたって製造されたため、日本統治時代の称号規程の改正を2度経ており、当初の8両の番号は10 - 12, 20 - 25であったが、50 - 58に改番され、その時期に3両(59 - 61)が製造された。さらにこの12両がLD10形(LD101 - LD1012)となり、この時期に1両(LD1013)が製造されている。その状況は、次のとおりである。
汽車製造製の最初の4両は、ポーター製に忠実なコピーを行ったが、1925年の日立製からはシリンダの位置を51mm(2in)前方に移し、運転室を鋼製とした。さらに1930年製のものからはサイドタンクを前方に延長して形態が変わった。運転台の側面には、空気取り入れ口があって、特徴となっている。
太平洋戦争後は、全機が台湾鉄路管理局に移管され、LDK50型(LDK51 - LDK63)となって、1982年の台東線改軌まで使用された。
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保存機
台湾での廃車後の1982年(昭和57年)、本形式のうち数両がLDT100型3両などとともに東急電鉄によって再輸入された[1]。このうちLDK57は、1984年(昭和59年)4月にたまプラーザ東急で行われた東急田園都市線全線開通記念「鉄道おもしろ大博覧会」に合わせて、たまプラーザ駅前広場で展示された[2]。その後、LDK56・LDK57は民間に売却された。
台湾に残った本形式のうち、LDK58は澎湖県政府、LDK59は台東県政府に寄贈された。LDK59は台湾鉄路管理局の手で動態復元され、2011年には花蓮駅構内で往復運転が行われた。
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脚注
参考文献
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