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名古屋市西区主婦殺害事件
1999年に愛知県名古屋市西区で発生した殺人事件 ウィキペディアから
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名古屋市西区主婦殺害事件(なごやしにしくしゅふさつがいじけん)とは、1999年(平成11年)11月13日に日本の愛知県名古屋市西区稲生町5丁目で発生した殺人事件。
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愛知県警察による正式名称は名古屋市西区稲生町5丁目地内における主婦殺人事件[2]。事件発生から26年にわたり未解決となっており[3]、捜査特別報奨金として上限300万円が賭けられていたが[2]、2025年(令和7年)10月31日、被疑者の女(逮捕当時69歳)が逮捕された[3]。
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概要
1999年(平成11年)11月13日の午後2時30分ごろ、愛知県名古屋市西区稲生町のアパート内で主婦(当時32歳)が、首を刃物で刺されて死亡しているのがアパートの所有者(以下大家と記す)により発見された。犯行は当時2歳1か月の被害者の長男の目の前で行われた。
被害者の夫は事件現場であるアパートの一室を自費で契約し続け[4]、報道陣に公開したり、2013年(平成25年)8月より毎月、命日にあたる13日に情報提供を求める呼びかけを行っていた[5]。2020年(令和2年)2月5日に警察庁により、捜査特別報奨金制度の対象事件に指定され、被疑者の逮捕につながる有力な情報を提供した者に上限300万円が支払われることになった[6]。事件発生から指定までの20年2か月という期間は、1971年(昭和46年)に発生した渋谷暴動事件で45年後に指定されて以来、史上2番目の長さであった[6]。
時系列
以下、愛知県警捜査一課・西警察署による捜査により判明し、新聞により報道された事件の流れを時系列で記す。全て1999年(平成11年)11月13日の出来事である。
- 午前9時頃 - 被害者の夫が出勤[1]。
- 午前中(時刻不明) - 近所の住民によると、被害者宅で人が争うような大きな物音を聞いたという[1]。
- 午前11時頃 - 被害者が長男とともに近所の病院に出かける[1]。
- 正午頃まで - アパート北側に隣接する駐車場において、住民が車の手入れをしていた。この住民によれば、不審者の姿は見ていないという[7]。
- 正午から午後1時までの間 - 捜査本部では前後の出来事からこの時間帯を犯行時刻とみている[1][7]。
- 正午から午後1時までの間 - 車を手入れしていた住民とは別の住民が、被害者宅でタンスを動かすような大きな音がした直後、階段を駆け下りる音を聞いたという[7]。
- 午後0時30分から午後2時ごろ - 友人が3回被害者宅に電話を掛けていたが、いずれも応答がなかったという[1]。
- 午後2時頃 - 大家が家で採れた柿を届けようと被害者の部屋を訪れたが応答がなく、また無施錠であったため、部屋の中に入った。すると、首から血を流して倒れている被害者を発見したため、119番通報した[1]。しかし、その時点で既に死後2〜3時間は経っていたとみられる[1]。被害者はトレーナーとジーパンの姿で室内の廊下から居間に体を投げ出すような形でうつぶせになり倒れていた[1]。なお先述の通り、部屋には当時2歳の被害者の長男もいたが無傷であった。
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犯人の特徴
犯行現場やその周辺に残された足跡や血痕などから、捜査段階で犯人の特徴について以下のように推定されていた。
- 年齢は40歳〜55歳くらい(当時)の女[2]。
- 犯行時はかかとの部分が高い24 cmの韓国製の量販品の婦人靴を履いていたとみられる[8][9]。
- 血液型はB型[9]。
- 被害者宅の洗面所および稲生公園の手洗い場付近に犯人が血を洗ったとみられる跡があることから、殺害の際に被害者ともみ合いになり、左右のいずれかの手にけがをしたとみられる[10]。
- 犯人はしばらく周辺の様子をうかがった後、現場から500 mほど離れた稲生公園近くまで走って逃げたとみられる。
- 被害者宅には物色された跡が無く、何も盗まなかったとみられる[1]。
- 犯行現場には、飲みかけの乳酸菌飲料が置いてあった。被害者家族ではこの飲料を飲む習慣がなく、犯人が持ち込んだ可能性が高い。この乳酸菌飲料は被害者宅周辺では配達・販売されていない商品で、被害者宅から約35 km離れた西三河地区で販売されていた。
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被害者の関係者らの事件後
目の前で母親を殺された被害者の長男は事件後、母方の祖母である被害者の義母(被害者の夫の母親)が母親代わりになっていたが、彼女は2023年(令和5年)1月ごろに91歳で死去している[11]。
被害者の夫は事件後、『中日新聞』の取材に対し、「自身の事件後には他事件で見られるようなメディアスクラムは無かったが、同様の凶悪事件では被害者遺族がメディアスクラムに苦しめられることも多い」と指摘し、その背景には記者たちの間に「特ダネ」の精神があるとして、事件報道にあたっては報道機関側が被害者や遺族の心情に配慮する必要があることはもちろん、遺族側の弁護士が取材拒否を助言していることについても触れ、「いずれ裁判が終結するなどして『遺族が話したくなる』時も来ることを考慮した対応が必要だろう」と語っている[12]。
「最初に遺族のコメントをもらってこい」と競わせると、マスコミが集中し、傷つく遺族は減りません。遺族が「一生付き合いたい」と思う記者が評価されないと。 — 被害者の夫、[12]
事件解決へ
事件発生から26年間にわたって未解決となっていたが、2025年(令和7年)10月31日、名古屋市に住む69歳の女が逮捕された[13][14]。
愛知県警の記者会見によれば、女は被害者の夫の高校時代の同級生で[15][16]、2025年より愛知県警から任意で取り調べを受けていたが、10月30日午後に自ら愛知県警西警察署へ出頭し[17]、事件現場に残されていた犯人の血痕と女のDNA型が一致したため逮捕に至った[18]。
脚注
関連項目
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