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和歌山毒物カレー事件
1998年に日本の和歌山県和歌山市で発生した毒物混入・無差別殺傷事件 ウィキペディアから
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和歌山毒物カレー事件(わかやまどくぶつカレーじけん)とは、1998年(平成10年)7月25日に日本の和歌山県和歌山市園部で発生した毒物混入・無差別殺傷事件である[8]。地区の夏祭り[注 1]で提供されたカレーライスに亜ヒ酸が混入され、カレーライスを食べた67人がヒ素中毒症状を起こし、うち4人が死亡した[3]。殺人罪などで起訴された林 眞須美(はやし ますみ)は2009年(平成21年)5月19日に死刑が確定したが[9][10]、一方で冤罪疑惑がしばしば指摘されており(後述)、林は2025年(令和7年)6月時点で第3次再審請求中である[11]。
本記事の死刑囚・林眞須美は、実名で著書を出版しており、削除の方針ケースB-2の「削除されず、伝統的に認められている例」に該当するため、実名を掲載しています。 |
林夫妻以外の事件関係者の名前はWP:DP#B-2に抵触するため、記載しないでください。 |
和歌山カレー事件とも呼ばれることがある[8]。
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概要
本事件は、1998年(平成10年)7月25日夕方に和歌山県和歌山市園部地区で開催された夏祭り[注 1]において、提供されたカレーライスに毒物が混入されていたことから、67人が急性ヒ素中毒となり、うち4人が死亡した毒物混入・無差別殺傷事件である[注 2][15]。
現場の近所に住んでいた主婦の林 眞須美(以下「眞須美」と表記)が被疑者として逮捕され、カレー毒物混入事件・保険金殺人未遂事件・保険金詐欺事件の合計9件で起訴された[4]。被告人となった眞須美は刑事裁判で無罪を訴えたが、第一審の和歌山地裁で死刑判決を受け[16]、控訴・上告も棄却されたため[17][18]、2009年(平成21年)5月19日に最高裁判所で死刑が確定[9][10]、眞須美は戦後日本で11人目の女性死刑囚となった[19]。2020年(令和2年)9月27日時点で[20]、眞須美は死刑囚(死刑確定者)として大阪拘置所に収監されている[21]。冤罪の可能性を指摘する声もあり、眞須美は事件から27年となる2025年(令和7年)11月時で3次再審請求中である(詳細は後述)[22]。
地域の夏祭りでの毒物混入事件であり、不特定多数の住民らを殺傷するという残忍性、当初の「集団食中毒」から、「青酸化合物混入[注 3]」、「ヒ素混入」と原因の見立てや報道が二転三転したこと、住民らの疑心暗鬼や犯人に関する密告合戦、さらには住民の数を上回るマスメディア関係者が2か月以上も居座り続けるという異常な報道態勢などが連日伝えられた[23]。
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事件の経緯
要約
視点
毒物混入の経緯[24]
眞須美の属する自治会では、1992年度から恒例行事として夏祭りを開催しており、1998年度も、7月25日にこれを行うことになった。そして、同年6月30日に自治会長宅で行われた役員班長会議において、食べ物としてカレーやおでんを提供すること、カレー等は、自治会の女性役員や班長方の女性が中心になって、当日8時30分から夏祭り会場隣の住民宅ガレージ内で調理すること、調理後は、当日12時から夏祭りが始まる18時までの間、1班から5班までの班長が1時間ずつ交代で見張り(子供が鍋を倒したりするのを防ぐため)をすることなどが決められた[注 4]。
眞須美は当時、自治会内の1班の班長をしており、上記会議には出席していたものの、同じ班から役員(婦人部部長)に選出されていた住民Aに対し、「当日午前中のカレー等の調理には行けないが、12時から13時までの見張りには行く」と告げていた。
夏祭り当日の午前中、眞須美は、6時30分ごろから8時30分ごろまでの間、入院先の病院で精密検査を受けていた。一方ガレージでは、8時30分ごろから近隣の主婦十数名が集まってカレー等の調理にあたっていたが、その際、集まった主婦らの間では、林宅からその南側を流れる用水路にゴミが投棄されたり、夜中にピアノを弾いたりするので困るといった話題が交わされた。
カレー等の調理がほぼ一段落した12時ごろ、ガレージ内にはAら6名の主婦がいた。Aはそのころ、他の主婦から眞須美が見張りに来てくれるかどうかを聞かれ、これに対し、Aとしては、眞須美が午前中の調理を理由もなくサボったと思っていたこともあって、「朝調理に来なかったから、来るかどうか分からへんわ」とやや興奮気味の調子で答えた。眞須美は、その直後ガレージに現れた。
その場にいた主婦らは、誰も眞須美にあいさつをせず、ガレージの中は気まずい雰囲気が漂った。眞須美は、Aに「(カレー鍋の)火を付けて混ぜておかんでいいの」と話しかけたが、Aは「混ぜやんでいいんやで、見てるだけでいいんやで」と言った。さらに眞須美は、Aに「氷どうなってんのかな」と聞いたため、Aは、眞須美が班長としての仕事まで押しつけようとしていると思って腹を立て、「氷のことまで知らんわ。作ってくれているかどうか行って聞いてきて」とやや強い調子で答えた。眞須美は、少しあわてた様子でガレージを出ていき、1班に属する数軒の家庭に氷を作っているかどうかを聞いて回った。
眞須美がガレージを出ていくのと前後して、他の主婦らも自宅に帰り、ガレージ内には住民A1人となった。Aは、眞須美にきつく言いすぎたと思い、眞須美が戻ってきたら、できるだけ普通に話しかけようと思っていた。
眞須美は、10分くらい後にガレージに戻ってきて、Aとカレー鍋等の見張りを始めた。Aは、眞須美に「暑かったやろう」と声をかけ、午前中の出来事や午後の予定などを話そうとしたが、眞須美はほとんど返事をせず、話を聞いていないような素振りを見せた。Aは、普段よく話をする眞須美が何も話そうとしないので、気まずい気持ちになり、眞須美に、夫の食事の準備をしなければならないので帰ってもいいかと尋ねた。眞須美は、普段の調子に戻り、「行って行って」と言って、Aを帰らせた[注 5]。
Aは、同日12時20分ごろガレージを出ていったが、それとほぼ入れ違いに眞須美の次女がガレージに現れ、眞須美と何か話をしてすぐに出ていった。また、これと前後して、ガレージ内にいた眞須美の長男と三女もガレージから出ていった。そして眞須美は、その時から同日13時ごろまでの間、1人でカレー鍋の見張りをしていた際に、殺意を持って紙コップに半分以上入った亜ヒ酸をカレーの中に混入させた。
被害発生

1998年7月25日夕方、和歌山市園部地区の新興住宅地で、園部第14自治会が夏祭りを開催した。近所付き合いを深めるため、自治会役員らは祭会場付近のガレージで大きな寸胴鍋2つを使ってカレーを作り、祭り会場の中央のテントに運んで来場者に振る舞っていた。
祭り開始前後で、カレーを食べた住民たちが相次いで激しい腹痛、嘔吐、下痢を訴え、未成年30人を含む多数が救急搬送された。症状の進行は早く、自治会長と副会長、小学生の男児、女子高校生の計4人が死亡し、60人以上が急性中毒の症状を呈した。
当初、和歌山市保健所や和歌山県警は、調理や保存の過程に問題があった可能性を含めて「集団食中毒」を疑って調査を始めた。しかし、重症例の多さや死者の発生から、捜査本部は早い段階で「通常の食中毒では説明がつきにくい異常事態」と認識し、毒物混入の可能性を視野に入れた捜査に切り替えていった。[27]
青酸反応とヒ素中毒の確定
事件直後、被害者の吐瀉物やカレーの残りを和歌山県警科学捜査研究所が簡易検査にかけたところ、青酸化合物の陽性反応が出た。死亡した自治会長の司法解剖でも青酸反応が確認されたとされ、一時は「青酸による中毒死」と報じられ、県警も青酸化合物の出所を中心に捜査を進めた。
しかし、その後の詳細な鑑定で、吐瀉物中のチオシアン(タマネギなどに含まれる成分)が前処理で除去されておらず、試薬が青酸と誤って反応した偽陽性だったことが判明する。死亡した4人のうち、自治会長以外の遺体からは青酸化合物が検出されず、青酸を使った農薬など二次製品特有の成分も検出されなかったことから、「青酸中毒」という初期判断は修正されることになった。 改めて行われた鑑定では
- 副会長の胃内容物
- 男児の吐瀉物、
- 女子高校生の食べ残しカレー
から、いずれもヒ素(亜ヒ酸)が検出され、4人全員の心臓血からもヒ素が検出された。捜査本部は10月5日付で、4人の死因を正式に「急性ヒ素中毒」と認定し、事件はヒ素による大量無差別中毒事件として位置付けられた。 判決によれば、カレー鍋中のヒ素濃度は約6 mg/gと推定される高濃度であり、成人であれば約50 gのカレーを口にするだけで致死量(300 mg前後)に達し得る量だったとされる。実際に、重症者の中には200 mg以上のヒ素を摂取したと推定される被害者もいたと認定されている。[27]
会場でヒ素の付着した青色紙コップが発見される
夏祭り会場では、事件直後から実況見分と物証の収集が行われ、カレー鍋や調理器具に加え、会場周辺のゴミ袋も押収された。その中の一つのゴミ袋から、青色の紙コップが1個見つかった。裁判所は、「この紙コップはカレー鍋の置かれていたテント付近のゴミと一緒に回収された。全体としても紙コップの遺留はごく少数だった」と認定した。この「青色紙コップ」は科捜研に送られて分析され、内側の付着物から亜ヒ酸が検出された。後の鑑定で、カレー鍋から検出されたヒ素や、のちに押収される林家関係のヒ素と極めてよく似た組成を持つことが判明し、裁判所は「カレーにヒ素を入れる際に使われた容器である可能性が高い」と評価した。 [27]
ヒ素の出どころを追う捜査と林家への焦点
カレーから三酸化ヒ素が検出されたことから、捜査本部は「誰が、どこからヒ素を入手したのか」に捜査の重点を移した。捜査の過程で、近隣に住む林眞須美と夫・健治が、かつてシロアリ駆除業をしており、業務で亜ヒ酸を使用[注 6]していたことが明らかになった。その後の家宅捜索で
- 林家が以前使用していた緑色のドラム缶
- 実兄名義のガレージ内に残されていたミルク缶やせんべい缶(重と記載)
- 林家の台所流し台下で発見されたタッパー
- 旧宅ガレージに残されたミルク缶
などから、多量の亜ヒ酸が押収された。これらのヒ素(亜ヒ酸)と
- 会場の青色紙コップ付着物
- カレー鍋内の亜ヒ酸
との成分を比較する異同識別鑑定が行われ、微量元素の構成や元素濃度比が極めてよく一致することが示された。裁判所は、滅多に見られないほどに同じ特徴を持つヒ素が、林家の保管容器とカレー事件現場の双方から検出されていることを重視し、「ヒ素の由来は林家に集中している」と認定している。 [27]
保険金絡みのヒ素中毒事件が捜査本部に浮上
ヒ素の所有者を追う捜査の中で、林家の周辺では以前から原因不明の中毒・体調不良を起こしていた人物が複数いることが判明した。判決文によると
- 夫・健治
- 知人男性I
- 元従業員M[注 7]
- 元従業員Y[注 8]
が過去に急性ヒ素中毒とみられる症状を呈し、その前後で多額の保険金請求が行われていた事案が次々と浮かび上がった。 これらの事実から、捜査本部は「林家周辺では、保険金を狙ったヒ素混入事件が継続的に起きている可能性が高い」と見て、カレー事件と並行して過去の保険金事件の捜査を本格化させた。[27]
ヒ素とヒ素中毒の希少性と林家周辺への異常な集中
事件当時既に、カレーに混入された三酸化二ヒ素(亜ヒ酸)は毒物及び劇物取締法上の「毒物」に指定されており、製造、販売、保管には登録、帳簿記載、施錠保管などの厳しい規制が課されていた。捜査当局が園部地区周辺を調査した結果、亜ヒ酸を保有していたのは、かつてシロアリ駆除業を営んでいた林家関係者以外には確認されず、自治会住民の中で亜ヒ酸と結び付く者はいなかった。
ヒ素中毒が判明した後、その異常性が改めて浮き彫りになった。急性ヒ素中毒は日本国内でも極めて稀な疾患であり、専門家の井上尚英教授の報告によれば、「急性砒素中毒は数年に一度報告がある程度で、症例数がきわめて少ない」とし、裁判所は「急性砒素中毒の症例数は全国的に見ても非常に少ない」としている。[27] ところが、本件カレー事件に至る約12年半の間に、林真須美およびその家族・知人の周辺だけで急性ヒ素中毒が疑われる事案が12件発生していたことが明らかにされた。
裁判所は、「全国的に見ても滅多に起こらない急性ヒ素中毒が、林家の周囲にだけ繰り返し起きている」という事実を、「誰かが意図的にヒ素を飲食物に混入していた可能性を強く示す異常な事案」と評価した。カレー事件は、その長年続いたヒ素中毒事案の中でも最大規模のものとして位置づけられ、刑事裁判でも、こうした「希少な毒物が特定の家庭の周辺にだけ集中している」という構図が、眞須美の犯人性を基礎づける一つの柱となった。[27]
逮捕・起訴
1998年10月4日、元保険外交員で主婦の林眞須美(1961年7月22日生、当時37歳)は、夫・林健治に対する保険金殺人未遂および保険金詐欺の容疑で、和歌山県警捜査一課・和歌山東警察署捜査本部に逮捕された。健治も、別の詐欺および同未遂容疑で同時に逮捕され、2人はいずれも同月25日に和歌山地方検察庁から起訴された。これらはいずれも、カレー事件とは別の保険金事件である。
その後も保険金絡みの事件について捜査が進み、10月26日には、眞須美が別件の殺人未遂・詐欺容疑で、健治も詐欺容疑で再逮捕され、11月17日に追起訴された。
さらに11月18日には、眞須美が健治らに対する殺人未遂容疑などで、健治も詐欺容疑で再逮捕され、12月9日には両名がそれぞれ詐欺罪で起訴されるとともに、眞須美は健治らを被害者とする殺人未遂罪でも追起訴された。
一方、カレー毒物混入事件についても、ヒ素鑑定や過去の保険金事件との関連を踏まえて捜査が進められ、1998年12月9日、眞須美は「夏祭り会場のカレー鍋に亜ヒ酸を混入して4人を死亡させ、多数を負傷させた」殺人、殺人未遂容疑で再逮捕された。同年12月29日、和歌山地方検察庁はカレー事件についても殺人、殺人未遂罪で眞須美を起訴し、これらの保険金事件と併せて、和歌山地方裁判所で審理されることになった。[27]
捜査当局が林眞須美を犯人と判断した主な根拠
警察・検察が、林眞須美をカレー毒物混入事件の犯人と断定し起訴に踏み切った主な根拠は、おおむね次の4点に整理される。
1.カレーと林家関係から同じ特徴を持つ亜ヒ酸が検出されたこと
- 夏祭り会場のカレー鍋や青色紙コップから検出された亜ヒ酸と、林宅ガレージや兄宅ガレージなどに保管されていた複数の容器(緑色ドラム缶、ミルク缶、プラスチック容器など)から押収された亜ヒ酸は、微量元素の構成など組成上の特徴が非常によく似ていた。
- 対照として調べられた市販品や他の亜ヒ酸サンプルと比べても同じパターンを示すものは見つからなかった。
これらから、捜査当局は「カレーに混入された亜ヒ酸は林家関係の亜ヒ酸に由来する」と判断した。
2.林眞須美の毛髪・林宅周辺に見られた異常なヒ素汚染
- 眞須美の毛髪からは、通常の健康人より明らかに高い濃度のヒ素が検出され、その一部は無機三価ヒ素が毛髪表面に付着していることが確認された。
- 林宅台所の排水パイプ内の汚泥や会所(排水枡)の汚泥、麻雀部屋の埃などからも顕著な亜ヒ酸が検出され、林宅で亜ヒ酸が洗い流されたり散布された形跡が確認された。
これらから、捜査当局は「眞須美は日常的に亜ヒ酸を扱っていた」と判断した。
3.夏祭り当日にカレー鍋へ亜ヒ酸を混入し得た機会
- 住民の供述などから、東側のカレー鍋に亜ヒ酸が混入されたのは、7月25日正午過ぎから午後1時頃の間と見込まれた。
- この時間帯、眞須美はガレージ内でカレー鍋の見張り番をしており、一時的に1人で鍋のそばにいたり、蓋を開けるなどの行動をとっていたと目撃されている。
- 他方で、林家の亜ヒ酸と接点を持つ人物が、この時間帯に東カレー鍋へ近づき、ひそかに混入操作を行えたと認められる事情は見当たらなかった。
これらから、捜査当局は「実際に混入可能な立場にあったのは眞須美のみ」と判断した。
4.保険金目的によるヒ素使用殺人未遂
- カレー事件の約1年半前から、眞須美は健治や知人男性Iらに対し、保険金・共済金を得る目的で、くず湯・牛丼・麻婆豆腐・うどんなどの飲食物にヒ素や睡眠薬を混入する殺人未遂を繰り返していた。
- いずれの事案でも、高額の保険契約が締結された相手に対し、眞須美が用意、調理した食事が出され、その直後に急性ヒ素中毒に典型的な症状で倒れるという共通パターンが認められた。
捜査当局は、こうした一連の保険金事件を踏まえ、眞須美は「一連の毒物混入事案によって犯罪傾向が高いい」と見て、カレー事件もその延長線上にある犯行と位置づけた。このように、捜査当局は
- カレー鍋から検出されたヒ素の出所
- 眞須美本人と林宅を取り巻くヒ素汚染
- 当日の混入機会
- 近接時期に繰り返された保険金目的のヒ素混入による殺害行為
といった要素を総合して、林眞須美がカレー鍋に亜ヒ酸を混入したと判断し、殺人、殺人未遂罪で起訴した。[27]
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刑事裁判の経緯
要約
視点
第一審
眞須美は保険金詐欺の一部以外は容疑を黙秘したまま裁判へと臨んだ。裁判[注 10]で和歌山地検が提出した証拠は約1,700点。1審の開廷数は95回、約3年7か月に及んだ。
死刑判決
2002年12月11日に開かれた第一審判決公判で和歌山地裁は、カレー毒物混入事件、保険金殺人未遂事件3件、保険金詐欺事件4件について有罪とし、求刑通り被告人・林に死刑を言い渡した[注 11][16] 有罪認定の理由は以下の通り。
⑴関係亜ヒ酸の同一性が認められること[27]
⑴事件当時からヒ素は毒物及び劇物取締法によって厳格に規制されており、およそ通常の社会生活で手にするようなものではない[注 12]。また、弁護側は再審請求にて、「殺鼠剤にもわずかだがヒ素が含まれる」と主張するも、大阪高裁は「事件当時にはヒ素入りの殺鼠剤はほとんど流通しておらず、自治会で配布された殺鼠剤の有効成分はワルファリンであり、含有量を鑑みても人体へ毒性は強いものではない」としたうえで、「同種中国産だけでなく、本件の亜ヒ酸と同種ないし同一と矛盾しない類似性を有する亜ヒ酸を入手する可能性はきわめて低い」とした[30]。
⑵眞須美周辺から発見された嫌疑亜ヒ酸[注 13]とカレー鍋から検出された亜ヒ酸は、原料鉱石由来の微量元素の構成が酷似している。
⑶他社製品等に嫌疑亜ヒ酸と同じ特徴を備えた亜ヒ酸は存在せず、嫌疑亜ヒ酸は製造段階において同一である。
⑷関係亜ヒ酸は、製造後の環境(本件では白蟻駆除業)に由来するバリウムをも共通して含んでいる[注 6]。
以上の事実から、カレー鍋から検出された亜ヒ酸は青紙コップを介して混入された嫌疑亜ヒ酸である可能性がきわめて高いとされた。なお、のちの再審請求審にて裁判所は、⑶〜⑷について、「相当性を欠く点があって、異同識別3鑑定の証明力が低下した」と弁護側の主張を一部認めた。そのうえで、「その低下はきわめて限定的であり、原料由来の微量元素の構成が酷似している点についてはいささかも動揺していない。嫌疑亜ヒ酸とカレー鍋から検出された亜ヒ酸の組成上の特徴は同じであって、鑑定結果が眞須美の犯人性を示す重要証拠であることに何ら変わりはない」とした[30]。
⑵眞須美のみが犯行可能な状況であったこと[27]
調理中のガレージ(8時30分ごろ〜12時過ぎ)
⑴ガレージ内のカレー鍋の付近には常に複数の住民がいて、不審者も目撃されなかった。
⑵調理後に味見をして、夏祭り中にカレーを食べなかった住民の尿中ヒ素濃度は正常であって、被害者たちとの差は顕著であった。
以上の事実から、午前中のガレージ内で混入された可能性はないとした。
見張り当番中のガレージ(12時過ぎ〜15時ごろ)
⑴事前に午後からは班長が1時間交代で見張り当番をすると定められていた[注 4]が、眞須美と組む流れだった住民Aが気まずさから帰宅した[注 5]ために、眞須美は12時20分ごろ〜13時ごろまでの約40分間1人で見張りをしていた。
⑵他に3人の住民(A〜C)が1人で見張りをしていた時間が存在するが、いつ他の見張りの住民が来るか分からない状態の数分程度の時間であって、自身や家族も被害を受けており、亜ヒ酸との接点も確認されなかった。
以上の事実から、眞須美が1人で見張りをしていた時間帯にヒ素が混入された可能性が高いとした。
夏祭り会場(15時ごろ〜)
⑴ほとんどの時間帯についてカレー鍋付近に複数の住民がいて、不審者も目撃されなかった。
⑵自治会住民と亜ヒ酸との接点は確認されていない。
⑶夏祭りを準備している自治会住民が多い、会場の中央にあるテント内にあるカレー鍋に接近し、蓋を取ってヒ素を混入する行為は犯人にとって非常にリスクが高い。
⑷犯行に使用された青紙コップは、調理の際に使用されたゴミ袋内から発見されており、ゴミ袋の状況等からガレージ内で投棄されたとしか考えられない[注 14]。
⑸運営の仕事で夏祭り中にカレーを食べられない自治会住民が、夏祭り開始直前にカレーを食べて急性ヒ素中毒に陥っていた。
以上の事実から、夏祭り会場でのカレー鍋周辺の詳細な人の動きまでは確定できないが、夏祭り会場にカレー鍋が運ばれたあとにヒ素が混入された可能性はないとした。なお、ヒ素が混入されたとみられるあとに、鍋のカレーを味見して無事だった住民がいたが、それはしゃもじについた、味も分からないほどの微量を指先で舐めた程度であったためである。
⑶見張り当番中に不審な行動をしていたこと[27]
⑴12時20分ごろ、眞須美はペアを組む流れであった住民Aと入れ替わる形で、ガレージで1人で鍋の見張り当番を始めた。ガレージから帰る住民Aと入れ違うように次女がガレージに来たが、すぐに次女はガレージから出ていった。これと前後して、ガレージ内にいた長男と三女もガレージから出ていった。
⑵その後に眞須美は、西鍋の上に載っている段ボールやアルミホイルの蓋を外し、中を覗き込むなどした。その際にガレージの奥側を東西に行ったり来たりしながら、道路の方を気にするように何回も見ていた。
⑶眞須美は、⑴か⑵の後にガレージを一時留守にし、その後またガレージに戻った。
⑷その後、次女が再びガレージに来て、住民Bが13時ごろにガレージに来たときには、眞須美と次女の2人で見張りをしていた。
証拠から以上の事実が認められた。なお、次女のガレージの状況に関する証言は、矛盾や捜査段階での食い違いがあることから信用性を否定した。
⑷亜ヒ酸との密接な繋がりが認められること[27]
⑴林家の自宅から亜ヒ酸が検出された。
※台所で押収されたプラスチック容器は、証拠隠滅が施されていたために肉眼では亜ヒ酸が発見できず、家宅捜索開始から遅れての検出となった。
⑵林家の旧宅のガレージから亜ヒ酸が発見された。
※林夫婦と林家旧宅の現居住者(知人男性T)は交流がある[注 15]うえに、旧宅ガレージは林家の荷物が残されていて、眞須美は容易に目的を隠して亜ヒ酸を持ち出すことが可能な状況であった。
⑶眞須美の実兄宅に亜ヒ酸が保管されていた。
※当初、実兄は保管の事実を隠して眞須美をかばっていたが、やがて事実を言うべきだとの心境に至り、警察官に保管の旨を申告した。
⑷眞須美の毛髪からは、通常では付着するはずのない3価の無機ヒ素[注 16]の外部付着が認められた。
以上の事実から、眞須美は亜ヒ酸ときわめて密接な関係にあって、容易に入手しうる立場にあったとした。なお、健治の白蟻駆除業は、園部に引っ越す3年前に廃業していて、ヒ素は眞須美の実兄に引き取られていた。そして、白蟻駆除工事等で園部の林宅にヒ素が持ち込まれる合理的な理由は存在せず、健治が持ち込んだ事実も認められなかった。健治は眞須美からヒ素を摂取された被害者でもあり、自身が急性ヒ素中毒であったことも知らず、ヒ素とは無関係の生活をしていた。
⑸カレー毒物混入事件以外にも、人を殺害する道具としてヒ素を使用した事実があること[27]
眞須美はカレー事件発生前の約1年6か月の間に、無断で知人男性Iに生命保険をかけるなどして、死亡保険金詐取目的で合計4回も他人の飲食物にヒ素を混入させていた。この事実は、社会生活において存在自体がきわめて稀少である猛毒のヒ素を、人を殺害する道具として使っていたという点で眞須美以外の事件関係者には認められない特徴であった。また、この金銭目的でのヒ素使用事件と他の睡眠薬使用事件を総合して、「人の命を奪ってはならないという規範意識や、人に対してヒ素を使うことへの抵抗感がかなり薄らいでいた事実の表れである」とした。
⑹第三者によるヒ素混入の可能性が認められないこと[27]
⑴知人男性Tなどの嫌疑亜ヒ酸と繋がりがある人物は、事件当日に現場付近に来ていなかった。
⑵健治はガレージ付近で目撃されていなかった。また、自身が急性ヒ素中毒であったことも知らず、後遺症で単独歩行が困難な状態でもあった。前述の通り、事件当時もヒ素とは無関係な生活をしていた[注 17]。
⑶前述の通り、亜ヒ酸と繋がりがある自治会住民は見当たらなかった。
(7)その他の事情[27]
⑴見張り当番中に次女がカレーの味見をしていた[注 18]のに、カレー毒物混入事件発生後同女に検査を受けさせるなどの配慮をしていなかった。
⑵眞須美は、カレーからヒ素が検出された事実が報道された直後に、事件前に嫌疑亜ヒ酸を預けていた実兄に、林家ではヒ素は使っていなかったことにするように依頼した。
⑶眞須美が住民Bと見張り当番を交代した際、「座っとっただけやで」「蓋も取ってないし味も見てへんよ」などと殊更に虚偽の事実を告げた。
⑷班長の立場にありながら、夏祭りの運営の仕事を断り、深夜までカラオケに出かけていた。
⑸夕食としてレトルトのカレーを自身の子供たちに食べさせ、夏祭りカレーの無料引換券を住民Dに渡して処分した。
⑹1998年8月2日および同月4日に警察官から事情聴取を受けた際、同警察官から尋ねられたわけではないのに、住民Eが紙コップを使っていた旨を告げた。
和歌山地裁は、⑴〜⑵についてのみ「いずれも不自然な行動であって、被告人が同事件の犯人であることと結びつきやすい事実である」と判示した[27]。その一方で大阪高裁は、⑶〜⑹も含むすべてについて「被告人の犯人性を否定ないしこれと矛盾する事実が存在しないことと相まって、その認定をより確実にするものというべきである」と判示した[24]。
結論[27]
裁判所は、主に上記の事実を総合して、カレー毒物混入事件の犯人は眞須美であると断定した。殺意についても、「被告人がこれまでに使ったことはないであろう(少なくとも)紙コップ半分以上という多量の亜ヒ酸を鍋に混入したのであるから、被告人が、カレー毒物混入事件において、死の結果発生の可能性を低く考えていたとは到底考えられない」として未必的な殺意を認定した。動機については未解明とされた[注 19]。そのうえで、「4人もの命が奪われた結果はあまりにも重大で、遺族の悲痛なまでの叫びを胸に刻むべきである」と断罪し、極刑は止むを得ないとの結論の上「被告人を死刑に処する」と主文を宣告した[27]。
眞須美は判決を不服として、同日中に大阪高等裁判所へ控訴[16]。同月26日、身柄を丸の内拘置支所から大阪拘置所へ移送された[9]。
一方、保険金詐欺事件3件[注 20]の共犯として、詐欺罪で起訴された健治[注 9]は、2000年10月20日に和歌山地裁で懲役6年(求刑:懲役8年)の実刑判決を言い渡された[注 21][33][31]。判決は、眞須美の中心的役割を認めながらも、健治も保険金を支払わせる目的で大きな役割を果たしたと認定した[31]。和歌山地検[34]、健治ともに控訴せず、確定した[35]。健治は滋賀刑務所に服役し、2005年6月7日に刑期を満了して出所した[36]。
控訴審
逮捕から第一審判決まで貫いた黙秘から転じ、眞須美は供述を始めた。大阪高裁での控訴審初公判は2004年(平成16年)4月20日に開かれ[37]、結審まで12回を要した。2005年6月28日の控訴審判決公判で、大阪高裁第4刑事部[24]は、被告人・眞須美の控訴審供述について、「証拠や第一審判決を見て容易に弁解ができる状況でなされており、基本的に信用しがたい」とした。そのうえで、個別に証拠や第一審段階までの主張との矛盾を指摘し、「眞須美の当審供述内容は、証拠との矛盾や不自然な点に満ちていると評価せざるを得ない」として信用性を否定。そのうえで、「カレー事件の犯人であることに疑いの余地はない」として、第一審判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した[17]。弁護側は判決を不服として同日付で最高裁判所へ上告した[17]。
また、弁護側は、一連の保険金殺人未遂事件について、「いずれも保険金詐欺を目的に被害者自らヒ素を飲んだものであって、殺人未遂罪は成立しない」という新主張を展開した。しかしこれは、❶分離後の健治の公判で眞須美自身がした証言のほとんどが虚偽だったこと❷健治らが急性ヒ素中毒であったのは当然であったはずなのに、それを否認して弁護士に争わせるなどして、まったく無駄な行動を強いていたことを前提とするものであった。しかも、第一審判決から1年数か月も経過した2004年4月ごろに至るまで、眞須美は弁護士にすらこの主張を明かさなかった。大阪高裁は新主張について、「供述の時期や経緯からして不自然なうえに、証拠と矛盾する点を数多く含んでおり、まったく信用できない」として退けた[24]。
上告審
直接証拠も自白もなく黙秘権を行使し、動機の解明もできていない状況の中、弁護側が「地域住民に対して無差別殺人を行う動機はまったくない」と主張したのに対し、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は、2009年(平成21年)4月21日の判決で、❶カレー鍋から検出された亜ヒ酸と組成上の特徴が同じ亜ヒ酸が眞須美周辺で発見されたこと❷眞須美が亜ヒ酸を取り扱っていたこと❸眞須美のみが犯行可能な状況であり、しかも見張り当番中に不審な行動をしていたことなどを総合して、カレー事件の犯人であると断定した。そして、「無差別殺人の結果から、4人の命が失われて重症者も多数に及んだ。後遺症に苦しんでる者もいて結果は重大である。長年にわたって保険金絡みの殺人未遂や詐欺を繰り返していて犯罪性向も根深い。詐欺事件の一部以外は大半の事件について犯行を否認しており、反省も賠償もしておらず、死刑はやむを得ない」と述べ、弁護側の上告を棄却した[18]。
被告人・眞須美は、2009年4月30日付で死刑判決の破棄を求めて最高裁第三小法廷に判決の訂正を申し立てたが[38]、申し立ては同小法廷の2009年5月18日付決定で棄却され[6]、翌日(2009年5月19日)付で林の死刑が確定[9][10]。これにより林は、戦後日本では11人目の女性死刑囚となり[19][39]、同年6月3日以降は死刑確定者処遇に切り替わった[9]。
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余罪
要約
視点
カレー毒物混入事件の他に、検察側は、眞須美を保険金詐欺事件4件[40]と、ヒ素を使用した保険金目的の殺人未遂事件4件の計8件で起訴し、さらにヒ素使用事件7件と睡眠薬使用事件12件についても、いずれも保険金を目的として被害者を殺害し、または殺害しようとした事件であるとして「類似事実[注 22]」として立証を求め、全体として23件の保険金目的の殺人・殺人未遂事件が存在すると主張した。
裁判所は、このうち保険金詐欺事件4件と殺人未遂事件3件について有罪とし、加えて類似事実としてヒ素使用事件1件および睡眠薬使用事件2件についても眞須美の犯行を認定した[27][24]
他方、控訴審から弁護側は、夫の健治や知人男性Iらが保険金目的で自らヒ素を摂取したとする「自己摂取説」を新たに主張したが、大阪高裁は、こうした供述が控訴審段階になって突如現れた経緯の不自然さや、それまでの証言・医療記録・保険契約状況といった客観的証拠と大きく矛盾することから信用性を否定した。[24]
1993年〜1996年の詐欺、詐欺未遂事件[27][24]
旅館事件
1993年5月18日、夫の健治は親戚が経営する旅館を訪れた際、館内2階トイレで転倒して右膝蓋骨骨折の重傷を負い、約4か月の入院加療を受けた。地裁・高裁はいずれも、旅館関係者や同乗者の証言、医療記録の内容から、骨折はこの転倒によって生じた偶発的事故であると認定している。その一方で、眞須美と健治は、より高額の保険金が支払われる交通傷害保険を利用する目的で、この事故を「原動機付自転車を運転中に転倒した交通事故」と偽装し、虚偽の事故状況を記載した現認書や診断書を作成させて保険会社に提出し、後遺傷害保険金等あわせて約2000万円をだまし取った。大阪高裁では、弁護側から「旅館では打撲程度の軽傷しか負わず、自宅に戻ってから知人男性Iに金属バットで膝を叩き折らせた」とする新主張がなされたが、裁判所は、旅館側の証言や健治自身の過去の供述とも整合せず、供述が控訴審段階になって突如変更された経緯も含めて不自然・不合理であるとして信用性を否定し、健治が保険金目的で自らヒ素を飲む危険を冒す人物であるとする弁護側の主張を補強するための後付けの供述と判示された。
眞須美火傷事件
1996年2月13日、被告人は自宅で両下肢に重度の熱傷を負い、長期入院と手術を受けた。当初、受傷原因は「台所で鍋の熱湯を誤って足にかぶった家事事故」と説明されていたが、その後、交通傷害保険の支払条件に合わせるため、夫と共謀して「自転車でバーベキューの炭火側に転倒し、そこにかけてあった鍋の湯をかぶった」という交通事故に原因をすり替え、虚偽の事故状況を自ら診断書用紙に下書きして医師に転記させるなどして、内容虚偽の診断書や現認書を保険会社に提出した。この結果、複数の保険会社から入院給付金等約460万円を受領し、さらに両下肢機能全廃などと実際よりはるかに重い後遺障害を装って総額約7400万円の後遺障害保険金の支払いを請求したが、支払いは拒否され、後遺障害部分については詐欺未遂とされた。大阪高裁では、控訴審から新たに「高額な保険金を得るために自ら足に熱湯をかけた」「診察時に重症を装うため事前に降圧剤を飲んだ」といった新主張がなされたが、これらは医療記録や当時の行動経過と矛盾し、やはり控訴審になって初めて持ち出された点でも不自然であるとして、裁判所は信用性を認めず、旅館事件同様に、健治が保険金目的で自らヒ素を飲む危険を冒す人物であるとする弁護側の構図を補強するための後付けの供述と判示された。
夫健治に対する殺人未遂事件及び詐欺事件[27][24]
❶1997年2月6日13時ごろ、眞須美は入院先[注 23]から一時帰宅した健治に対して、死亡保険金1億5,480万円目的でヒ素入りのくず湯を食べさせて危篤状態に陥らせた。❷同年11月から12月までの間に、くず湯事件で入院していた健治と共謀して、両手足が完全に動かなくなったなどと症状を重く偽って高度障害保険金等として1億3,768万円をだまし取った。
両者とも詐欺の事実は認めたが、殺人未遂については被害者である健治も否認した。第一審で弁護側は、健治が急性ヒ素中毒であったこと自体を否認した[注 24]が、和歌山地裁は
⑴急性ヒ素中毒であると認められること
⑵当時の飲食物の摂取状況から、健治が2月6日の昼に食べたくず湯にヒ素が混入されていた可能性がきわめて高いこと
⑶そのくず湯は眞須美が1人で作ったものであること
⑷当時、健治を被保険者として多額の保険がかけられていたこと
⑸ヒ素を入手し得る立場にあったこと
⑹健治の死亡を強く期待する言動をしていたこと
以上の事実により眞須美を有罪とした。また、知人男性Iの証言が、病院側の証拠と符合することなどから信用性を認める一方で、健治の証言については、「健治証言は、不自然な点が多いばかりか、病院側の証拠と矛盾する点も多く、その点を指摘されると記録の方が間違っているなどと開き直った証言態度に出ており、明らかに被告人をかばうために虚偽の供述をしている」として信用性を否定した。
控訴審から、「保険金詐欺を目的に健治自らヒ素を飲んだのであって、殺人未遂罪は成立しない」と主張を大きく変更した。また、健治自身もそれに沿った証言をした[注 25]ものの、大阪高裁は
⑴健治が1月30日に初めてヒ素を摂取したとする点が証拠と矛盾すること
⑵健治がヒ素の摂取を思い立った経緯やヒ素を摂取する目的等が不自然であること[注 26]
⑶健治が入院中に訴えた症状等が詐病によるものであるとする点が不自然であり、むしろ、入院中の健治の言動は当初から保険金詐取の目的があっとは認められないこと[注 27]
⑷健治らがヒ素を管理、処分した経緯等が不自然で、証拠とも矛盾すること
⑸動機、経緯、態様等が健治および眞須美の性格や従前の行動等から見て不自然であること
以上の5項目を検討したうえで弁護側の主張を退けた。健治の眞須美をかばう姿勢を裁判所は「このような健治の姿は、平成9年2月以降に健治が眞須美によってきわめて過酷な被害に遭わされ、また眞須美が健治に嫌悪の情を抱いていた[注 28]とうかがえることを考えると、痛々しさすら感じるものであるが、眞須美を母とする4児の父親である健治としては、その胸中は複雑なものであろう」とした[27]。最高裁も上告を棄却した[6]。また、被害者である健治も詐欺事件の共犯としては有罪となっている[33]。
知人男性Iに対する殺人未遂事件および詐欺事件[27][24]
※眞須美夫婦は、控訴審から「知人男性Iは詐欺の共犯であり、保険金目的に自らヒ素を飲んだ」と大きく主張を変えたが、Iが保険金を報酬として受け取った事実はない(冤罪疑惑にて後述)。
❶1997年9月22日、眞須美は死亡保険金1億2,910万円目的で当時居候していたIにヒ素入りの牛丼を食べさせた。❷同年10月12日、入院先から一時帰宅したIにヒ素入りの麻婆豆腐を食べさせた[注 29]。❸Iの急性ヒ素中毒に関し、その原因を偽って入院給付金等539万円をだまし取った。❹1998年3月28日、眞須美はIにヒ素入りのうどんを食べさせた[注 30]。
弁護側は犯行を否認したものの、和歌山地裁は
牛丼事件について
⑴急性ヒ素中毒であると認められること
⑵当日、Iが口にした物は、眞須美が作った牛丼だけであること
⑶この牛丼は眞須美が1人で作ったものであること
⑷Iがヒ素を誤摂取したとは考えられないこと
⑸すでに健治に対してヒ素を使用した殺害行為を実行していること
⑹Iには多額の保険金がかけられていたこと
以上の事実により眞須美を有罪とした。
麻婆豆腐事件について
⑴急性ヒ素中毒であると認められること
⑵すでにIに対してヒ素を使用した殺害行為を実行していること
⑶当時、牛丼事件での保険金取得に失敗しそうな状況であって、眞須美には合理的でかつ強い動機が存在したこと
⑷当日、Iが口にしたものは麻婆豆腐のみであること
以上の事実により眞須美の犯行を認定した(類似事実)。
うどん事件について
⑴眞須美が作ったうどんにヒ素が混入されていた可能性が高いこと
⑵ヒ素と密接な接点があって、ヒ素を入手し得る立場にあるうえに、Iが偶然的にヒ素を摂取したことも考えられないこと
⑶ すでにIに対してヒ素を使用した殺害行為を実行しているうえに、睡眠薬を摂取(後述)させていたこと
⑷うどんを食べさせた直後に、眞須美らはIに事故偽装を強要しており、Iが死亡すれば、2億円以上の保険金を取得し得た状況にあったこと
⑸健治は、ヒ素を入手し得た状況にはあり、入院給付金のレベルでは保険金取得目的を有していたが、健治自身もヒ素を盛られた被害者であるし、当時においても、自分が急性ヒ素中毒であるとは認識していなかったこと[注 31]からも、健治は関与していないと認められること
以上の事実により眞須美を有罪とした。
控訴審から弁護側は、Iに対する一連の殺人未遂事件について、くず湯事件と同様に、「保険金詐欺を目的にIが自らヒ素を飲んだのであって、殺人未遂罪は成立しない」と主張したが、大阪高裁は
⑴健治の関与の状況が、健治の当審供述とまったく齟齬すること
⑵ヒ素を「仮病薬」として使用したとする点が不自然であること
⑶Iの症状が軽かったかのように供述している点と、同人が入院中に詐病を続けていたとする点が不自然であること
以上の3項目を検討した上で弁護側の主張を退けた。最高裁も上告を棄却した[6]。
知人男性Iに対する睡眠薬使用事件[27][24]
Iは1996年2月から1998年3月までの間に、10回も原因不明の意識消失に襲われていた。そのうちの4回については、病院側の証拠からIの意識消失状態、意識朦朧状態が確認されており、9回については、知人男性DがIの状態について直接、間接的に見聞きしていた。健治もまた、何回かIがそのような状態になったことがあると認める証言をしていた。
弁護側は犯行を否認したものの、和歌山地裁は
1回目(1996年7月2日)、7回目(1997年11月24日)、9回目(1998年2月3日)について
⑴睡眠薬の薬理作用であると認められること
⑵Iが睡眠時無呼吸症候群と診断された直後からIの意識消失が始まったうえに、林家に居候していた期間に生じていること
⑶当時眞須美はハルシオン等の睡眠薬を相当数処方されていたこと
⑷林夫婦には、Iにかけた保険金の不正取得目的があったこと
⑸眞須美はIのバイクによる事故を期待するような言動をしていたこと
⑹睡眠時無呼吸症候群であるIは、睡眠薬を飲むことは自殺行為であると医師から言われていることから、Iが自ら睡眠薬を飲むことはあり得ないこと
以上の事実から1回目、7回目、9回目の3回の意識消失については、Iが第三者によって睡眠薬を摂取させられたと認定した。このことから林夫婦両名かいずれかが首謀してIに睡眠薬を摂取させたとした。そして、7回目の意識消失事件については、健治がIに現金約200万円を眞須美に内緒で銀行口座に入金するように依頼していて、Iが林宅から出た際には、渡した現金を持っているかどうか確認しているが、Iに睡眠薬を摂取させて事故を起こさせようとする人物がこのような行動をするとは考えられないことから、健治が睡眠薬を摂取させたものではないと認定された。7回目の意識消失については、眞須美が自ら実行したか首謀しての犯行と認定された(類似事実)。
10回目(1998年3月12日)について
⑴7回目の意識消失は、眞須美がバイクで林家宅に来ていたIに睡眠薬を摂取させたものと認められること
⑵1997年の年末、眞須美はIにバイクを与えて事故を起こさせることを期待するような発言をし、1998年1月には、実際にIにバイクを買い与えて自動車保険を付していたことが認められること
⑶眞須美はIの意識障害を認識して、事故を起こすことを期待してIの後をつけたことが認められること
⑷この10回目の意識消失では、Iは救急車で病院に搬送されたあとに親戚に引き取られており、病院での診察で異常所見は認められなかったものと推認できること
以上の事実から、10回目の意識消失は睡眠薬の薬理作用によるものであり、具体的な態様は不明であるが、少なくとも眞須美がその意識消失状態の作出に関与していたと認定された(類似事実)。
弁護側は控訴審でも事実誤認を主張したが大阪高裁は棄却した。
裁判所が犯行を認定しなかった事件[27][24]
その他、検察側が眞須美の犯行であると主張した事件は次の通りである。いずれも眞須美の犯行とは認定されなかった。
1985年11月:従業員Y[41](享年27歳)にヒ素入りの飲食物を摂取させた。
1987年2月:従業員M[注 7]にヒ素入りのお好み焼きを食べさせた[注 32]。
1988年3月:健治にヒ素入りの飲食物を摂取させた。
1988年5月:入院していた健治にヒ素入りの酢豚と餃子を食べさせようとするも、健治が知人男性Tに譲ったためにTが急性ヒ素中毒となった[注 33]。
1995年8月:健治にヒ素入りの飲食物を摂取させた。
1996年7月:カラオケ店で知人男性Iに睡眠薬入りのコークハイを飲ませた。
1996年9月:カラオケ店でIに睡眠薬入りのコークハイを飲ませた。
1996年11月:自宅でIに睡眠薬入りのコークハイを飲ませた。
1996年12月:自宅でIに睡眠薬入りのコークハイを飲ませた。
1997年1月:自宅でIに睡眠薬入りのコークハイを飲ませた。
1997年9月:競輪場でIに睡眠薬入りの飲み物を飲ませた。
1997年10月:自宅でIにヒ素入りの中華丼を食べさせた。
1998年1月:自宅でIに睡眠薬入りの飲み物を飲ませた。
1998年2月:自宅でIに睡眠薬入りの飲み物を飲ませた。
1998年5月:病院で知人男性Dに睡眠薬入りの飲み物を飲ませた。
1998年7月:喫茶店でDに睡眠薬入りのアイスコーヒーを飲ませた。
なお、1996年10月には眞須美の実母(享年67歳)が死亡し、林側は約1億4,000万円もの保険金を得ているが、その件について検察側は立証を行っていない[27]。
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再審請求
死刑囚となった林は2009年7月22日付で、和歌山地裁に再審を請求した(第1次再審請求)[42][43]。 なお、林は2020年9月27日時点で[20]死刑囚として大阪拘置所に収監されている[21]。
第1次請求
第1次再審請求は、和歌山地裁(浅見健次郎裁判長)が2017年(平成29年)3月29日付で出した決定により棄却され[44]、これを不服とした林は2017年4月3日までに大阪高裁に即時抗告した[45][46]。しかし、大阪高裁第4刑事部(樋口裕晃裁判長)[47]は2020年(令和2年)3月24日付で死刑囚・林の即時抗告を棄却する決定を出した[48]ため、林はこれを不服として同年4月8日付で最高裁に特別抗告を行った[49]が、後述の第2次再審請求に一本化するため、2021年(令和3年)6月20日付で特別抗告は取り下げられ、第1次再審請求は棄却決定が確定した[50]。
第2次請求
一方で第1次請求の特別抗告を取り下げるより前の2021年5月には、林が「事件は第三者による犯行」として和歌山地裁に第2次再審請求を行い、同月31日付で受理された[51]。担当弁護人は生田暉雄で[52]、第1次再審請求の弁護人とは別人である[53]。生田は同請求にあたり、「異なる申立ての理由があれば、さらに再審請求できる」と説明していた[52]。
申立書では、供述調書の中で示された被害者資料鑑定結果表では、青酸化合物とヒ素の両方が67人の被害者全員の体内に含まれているという鑑定結果[注 3]が出ており、青酸化合物が入っていたのなら、犯行に及んだのは、林死刑囚以外の第三者となり、林は無罪だとしている。生田によれば、林眞須美からの依頼を受け、2020年9月に面会して引き受け、2021年6月までに20回近く面会を重ねたが、林は、「オリンピックが終わると死刑が執行される」と怯えているという[54][55][52][51]。
同請求については2023年1月31日付で和歌山地裁から請求棄却の決定が出され、林は同決定を不服として同年2月2日付で大阪高裁へ即時抗告した[56]。大阪高裁は2025年1月27日付で林の即時抗告を棄却する決定を出した[57]。林は同決定を不服として同月29日付で最高裁に特別抗告した[58]。最高裁第2小法廷は同年11月13日付で林の特別抗告を棄却する決定を出した[59]。
第3次請求
第2次請求の即時抗告が棄却される前の2024年2月に和歌山地裁に第3次再審請求を行い、受理された。関係者によると、祭り会場にあった紙コップのヒ素と、林死刑囚の自宅で見つかったヒ素が同一だとする鑑定などが誤りだなどと主張する方針という[11][60]。
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ヒ素と化学鑑定
要約
視点
亜ヒ酸の入手経路と希少性
事件当時、カレーに混入された亜ヒ酸は、毒物及び劇物取締法上の「毒物」に指定されており、製造・販売・保管には都道府県知事への登録や帳簿記載、施錠保管などの厳しい規制が課されていた。亜ヒ酸やその他のヒ素化合物は、かつて農薬やシロアリ駆除剤として用いられていたが、強い毒性や環境、安全面の問題から1960年代以降は代替薬剤への置き換えが進み、1990年代には一般農家や通常の業者が使用することはほとんどなくなっていた。このため、事件当時に園部地区の住民などが農薬などで亜ヒ酸を保有していた可能性は低く、亜ヒ酸を大量に保管していた林家の状況は、地域の中でも例外的なものであった。眞須美の夫・健治は、かつて「H工芸」としてシロアリ駆除業を営んでおり、その際に使用していた亜ヒ酸が、緑色ドラム缶やミルク缶など複数の容器に小分けされ、林宅ガレージなど身近な場所に長期間保管されていた。これらの亜ヒ酸は、後に眞須美の兄宅ガレージ、知人T宅(林家旧宅)ガレージなどに移されていたが、少なくとも平成7年春頃までは林宅ガレージ等で保管され、その後も眞須美が出入り可能な場所に置かれていたと認定された。[27]
移動識別3鑑定と嫌疑亜ヒ酸
警察庁科学警察研究所(科警研)や大学研究者らによる複数の鑑定により、以下の資料に含まれる亜ヒ酸が、原料鉱石に由来する微量元素の構成やパターンにおいて極めてよく似ていることが明らかにされ、これらは総称して「嫌疑亜ヒ酸」と呼ばれている。
- ①緑色ドラム缶内の亜ヒ酸
- ②ミルク缶A内の亜ヒ酸
- ③「重」と記載された白色缶内の亜ヒ酸
- ④タッパーA内の亜ヒ酸
- ⑤ミルク缶B内の亜ヒ酸
- ⑥林宅台所で押収されたタッパーB付着の亜ヒ酸
- ⑦夏祭り会場で回収された青色紙コップ付着の亜ヒ酸
これら嫌疑亜ヒ酸について、異同識別鑑定において
- 同一工場、同一原料鉱石、同一工程、同一機会によって製造されたと考えられるほど、微量元素パターンが酷似していること
- ③〜⑦には、シロアリ駆除の使用過程で付着したとみられるバリウム[注 6]が共通して検出されていることなどを指摘した。
また、市販試薬や他地域で収集された亜ヒ酸などの対照資料との比較では、嫌疑亜ヒ酸と同様の微量元素パターンを示す亜ヒ酸は見いだされず、「嫌疑亜ヒ酸は極めて限られた出所のものである」と裁判所は認定した。[27]
カレー鍋中の亜ヒ酸との関係
科警研異同識別鑑定、中井教授による異同識別鑑定、谷口早川鑑定(以下「異同識別3鑑定」)は、東カレー鍋内の亜ヒ酸と嫌疑亜ヒ酸の元素パターンを比較し、東カレー鍋中の亜ヒ酸が嫌疑亜ヒ酸と製造段階において同一であると推認されると結論づけた。 裁判所は
- 亜ヒ酸自体がそもそも希少な物質であること
- 嫌疑亜ヒ酸と同様の組成を持つ亜ヒ酸が他に流通していたと認められる事情はないこと
- 嫌疑亜ヒ酸相互および東カレー鍋中の亜ヒ酸の微量元素パターンがよく一致していること
などを総合し、「東カレー鍋に混入された亜ヒ酸は、①〜⑤の亜ヒ酸粉末、または⑥タッパーB内の亜ヒ酸に由来する蓋然性が極めて高い」と認定した。その後の再審請求における新たな弁護側鑑定人意見書など踏まえても、「嫌疑亜ヒ酸とカレー鍋から検出された亜ヒ酸の組成上の特徴は同じであり、眞須美の犯人性を示す重要な証拠である」とした(詳細は後述)。[27][61][30]
他人が亜ヒ酸を混入した可能性が低いとされた理由
裁判所は次のような事情を総合して、「林眞須美以外の第三者が、同じ亜ヒ酸を用いて東カレー鍋に毒物を混入した」という仮説は極めて非現実的であると認定した。
1.嫌疑亜ヒ酸と接点を持つ人物の範囲が極めて限られていること
緑色ドラム缶等の亜ヒ酸の存在を知り、実際に接触し得た人物は、眞須美とその兄などでごく限られていた。これらの人物のうち、事件当日に林宅周辺に来ていた者や、東カレー鍋に接近して混入操作を行い得る立場にあった者はいない。
2.眞須美は嫌疑亜ヒ酸へのアクセスが容易であったこと
嫌疑亜ヒ酸は元々、林宅ガレージ等の身近な場所に保管されており、その後移された後も、眞須美には知人T方ガレージなどへの立入りが可能であった。少なくともミルク缶B内の亜ヒ酸については、眞須美が小分けして持ち出すことが容易な状況にあったと認定されている。
3.カレー鍋への混入機会が眞須美にほぼ限定されていたこと
住民の供述を総合すると、東カレー鍋への亜ヒ酸混入は、眞須美がカレー鍋の「見張り番」をしていた7月25日正午過ぎ〜午後1時頃の間に行われた蓋然性が高いとされた。この時間帯には、眞須美が1人でガレージ内にいる場面があり、その際に東カレー鍋へ亜ヒ酸を投入することは物理的に可能であった。他方、この時間帯に嫌疑亜ヒ酸と接点を持つ他の人物が現場にいた事実は認められていない。
4.林宅と眞須美自身のヒ素汚染
林宅台所の排水管内の汚泥、会所(下水や汚泥を溜めておく枡)の汚泥、麻雀部屋のほこりからは、周辺と比べて顕著に高濃度の亜ヒ酸が検出されており、林宅で亜ヒ酸が洗い流されたり散布された形跡があると判断された。さらに、眞須美の毛髪からは通常は付着しないレベルの無機三価ヒ素の外部付着が認められ、眞須美が亜ヒ酸等を取り扱っていた蓋然性が高いとした。
5.近接時期におけるヒ素による殺害行為
眞須美は、事件発生の約1年半前から、健治や知人男性Iに対して保険金目的で食べ物にヒ素を混入させる殺害行為を繰り返していた。裁判所は、これらの事実を踏まえ、「眞須美にとって亜ヒ酸は、人目につきにくい形で生命を奪う手段として現実に使われていた」と評価している。 以上を総合し、裁判所は
- 希少かつ特徴的な組成の亜ヒ酸にアクセスでき
- 事件当日に東カレー鍋に接近して混入し得る立場にあり
- 自宅と自身の毛髪に異常なヒ素汚染があり
- 近接時期に同じく亜ヒ酸を用いた毒殺未遂を繰り返していた
毛髪鑑定
毛髪中のヒ素は大きく分けて
- 食事由来の有機ヒ素(主にDMAなど)が内側から取り込まれる場合
- ヒ素化合物に直接触れ、毛髪表面に無機三価ヒ素(亜ヒ酸)が外部付着する場合
の二つの経路が考えられる。通常の生活では、高濃度の亜ヒ酸が毛髪表面にまとまって付着することはなく、付着量や分布パターンを分析することで、「日常摂取」か「直接の接触」かを推定できるとされた。
眞須美の毛髪の特徴
裁判所は、眞須美毛髪の鑑定結果をおおむね次のように評価している。
- 眞須美の毛髪からは、通常の健康人ではあり得ない高濃度の亜ヒ酸が検出された。
- そのうち無機三価ヒ素が毛髪表面に外部付着していることが認められた。
- ヒ素濃度は毛髪の一部(とくに前頭部付近)に偏って高く、全体に均一ではなかった。
これらの事情から、裁判所は「眞須美が亜ヒ酸を直接取り扱った際に、その粉末や溶液が毛髪に付着した」と推認し、単なる食事由来の摂取だけでは説明困難とした。弁護側は、「対照群の一部にも無機三価ヒ素が検出されている」「健康人でも毛髪中にヒ素は存在し得る」などとして鑑定の信用性を争ったが、裁判所は
- 対照群に見られる微量の無機ヒ素と比較しても眞須美毛髪中の濃度は異常に高いこと
- 分布が特定部位に偏在していること
を踏まえ、毛髪鑑定は引き続き「眞須美が亜ヒ酸を扱っていたことを示す有力な状況証拠」であると評価した。
異同識別3鑑定に対する弁護側の批判
前述の通り、本件では、警察庁科学警察研究所や大学研究者による複数の異同識別鑑定により、林家周辺から押収された嫌疑亜ヒ酸と、カレー鍋内亜ヒ酸、青色紙コップ付着の亜ヒ酸について、原料鉱石に由来する微量元素パターンがよく一致しているとされ、「同じ原料から製造された同種の亜ヒ酸である可能性が高い」と結論付けられた。
一方で、弁護側は公判中、再審請求において、工学系のK教授ら鑑定人が新たな意見書を提出し、異同識別3鑑定の手法や結論について、概ね次のような批判を行った。
- 科警研の分析は試料を一部消費する「破壊検査」であり、微量試料については追試が困難で再現性に疑問があること
- 「他社製品等には、嫌疑亜ヒ酸と同じ特徴を備えた亜ヒ酸は存在しない」とする裁判所の認定は、市販品など比較に用いられた資料の数や範囲に照らして、その存在があり得ないとまでは言えないこと
- 嫌疑亜ヒ酸に共通して検出されたバリウムを「シロアリ駆除業務に由来する」と説明する根拠は乏しく、土壌や建材など環境由来の可能性が十分検討されていないこと
- 青色紙コップ付着の亜ヒ酸にはカルシウムやデンプン、セメント由来とされる物質が検出されておらず、「混合物の有無から見れば嫌疑亜ヒ酸とは別物だ」と評価すべきであること
- 谷口・早川鑑定がバックグラウンド処理などの手法を修正し、補充、訂正鑑定書を提出しているのは、「当初鑑定を事後的に書き換えるもので、適切とはいえない」とみるべきであること
弁護側は、これらを総合して「林家の嫌疑亜ヒ酸とカレー鍋の亜ヒ酸が同一の出所に由来するとまではいえず、異同識別3鑑定の信用性が崩れれば有罪認定全体に合理的疑いが生じる」と主張し、再審開始を求めた。これに対し、裁判所は次のように判断している。
- 「他社製品等には同じ特徴を備えた亜ヒ酸は存在しない」、「嫌疑亜ヒ酸が製造段階において完全に同一である」とする認定ついては、比較対象となった市販品等の範囲、数に照らして相当性を欠く部分があり、その限度で異同識別3鑑定(科警研、中井鑑定、谷口・早川鑑定)の証明力が一定程度低下することは認めた。
- バリウムを白蟻駆除業務由来と強く位置付けた説明についても、環境由来の可能性を十分検討したとはいえず、その意味付けには行き過ぎがあると評価した。
- 他方で、事件試料は鑑定後も一定量が残存しており、科警研以外の専門家による追試的測定も行われていることから、「破壊検査で検証不能である」とする弁護側の批判は当たらないとした。
- また、弁護側は「同様の特徴を持つ亜ヒ酸が他社製品等に存在し得る」と一般論を述べるにとどまり、事件当時、林家以外の者が嫌疑亜ヒ酸と同様の微量元素パターンを持つ亜ヒ酸製品を現実に入手、保管していたことを示す具体的な他製品や流通経路の証拠は提出していない点も指摘された。
- 混合物(カルシウム・デンプン・セメント由来物質など)は後から付着した汚染物質であり、亜ヒ酸内部に均一に混入しているわけではなく「まだら状」に存在すると推認されること、青色紙コップ付着の亜ヒ酸は量が極めて少ないため、「たまたま混合物を含まない部分が採取された可能性」も否定できず、混合物が検出されなかったという一点のみをもって「別物の亜ヒ酸」と断定することはできないと判断した。
- 谷口・早川鑑定のバックグラウンド処理の修正についても、当初の測定データを前提に評価方法を補正したものと理解でき、補正後の鑑定書を鑑定人の最終的意見として採用すれば足り、「法の潜脱」などと評価すべき事情はないとした。
最終的に、裁判所は再審棄却決定においても、「異同識別3鑑定の一部表現には修正の余地があり、その点で証明力が限定的に低下する」としつつも、「嫌疑亜ヒ酸相互およびカレー鍋中の亜ヒ酸の原料由来の微量元素パターンが酷似しているという核心部分は動揺しておらず、嫌疑亜ヒ酸とカレー鍋に混入された亜ヒ酸が同じ原料鉱石に由来することを示す重要な状況証拠としての位置付けは変わらない」とした。[30]
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林家長男の主張
要約
視点
林眞須美の長男は、本事件の被告人家族の一人でもある立場から、自著や講演、X、YouTube[62]、映画[63]など各種メディアを通じて事件に関する言説を継続的に発信している。本項では、そうした長男の主張のうち、特に公的記録と関係するものを中心に記述する。
被害者の会副会長Sは眞須美の冤罪を主張しているという証言
林家の長男は、2021年に公開されたインタビュー動画にて「被害者の会副会長S[注 34]が、自分に対して『真犯人は林眞須美ではなくXだ』と言ってくれた[注 35]」「Xは薬物中毒者[注 36]で、トリックを使ってカレーにヒ素を混入した」といった主張を行っている。[64]しかし、公刊資料に基づく限り、副会長Sがそのような発言を行った事実は確認されていない。新聞、テレビの取材においてSは、林の有罪判決を前提として発言しており、2021年の毎日新聞の取材では「(林死刑囚は無罪を主張しているが)動機を知りたい」[65]、2023年の和歌山テレビの取材では「日本司法の最高機関で決まったことを信じる。それを信じなかったら何を信じるのか」[66]と語っている。また、他のインタビューでも「怒りは今も消えていない」と述べている。さらに、第一審、控訴審および上告審至るまで、「X」とされる人物が犯人候補として浮上したことはなく、証人供述や捜査経過の中にも登場しない。捜査当局および裁判所は、事件当時から毒物及び劇物取締法により厳格に規制されていた亜ヒ酸を長期間大量に保管していたのは、かつてシロアリ駆除業を営んでいた林家関係者に限られると認定し、近隣住民が同種の亜ヒ酸を日常的に所持していたと認められる事情は捜査、公判を通じて明らかにされていない。このような事情から、「副会長が真犯人はXだと認めた」「Xがトリックでヒ素を混入した」とする林家長男の証言は、少なくとも現時点で、裁判記録や被害者側の公式な発言、弁護側や住民の証言、ヒ素の出所に関する裁判所の認定とは整合していない。[27][61][30]
知人男性Iに関する林家長男の主張
林家長男は、自身のX上で、知人男性Iについて
- 「裁判の中では被害者として登場する知人ですが、子供のころ見てきた記憶では知人の借金返済のため、両親と自ら交通事故を装うなど、共犯関係にて保険金詐欺を働いていたと認識しております」[41]
- 「今その知人男性に問いたいのは、子供のころはわからなかったが、あのとき、鼻からストローで吸っていた白い粉はなんだったのか?絨毯の白い丸模様に薬、薬とに手を伸ばし、意識が朦朧とした状態でバイクに跨り電信柱にぶつかったあの姿は一体何を意味していたのか?と問いたい」[67]
と発言しており、Iが両親と「共犯関係」にあったことや、「鼻から白い粉を吸っていた」「薬物依存のような状態で自ら事故を起こした」と主張している。しかし、Iは一貫して林眞須美によるヒ素、睡眠薬による殺人未遂の被害者とされ、保険金を報酬として受け取った事実は一切認定されていない。林家に居候しつつ、実家に帰りたくないIが、名義を貸す、入院を長引かせるなど健治の指示に従っていたこと、その対価として健治から時おり1万〜2万円程度の小遣いを受け取っていたにとどまる。
また、Iは1990年代半ば以降、原因不明の意識障害や転倒を何度も繰り返しており、その一部は病院の診療録や第三者証言から客観的に確認されている。裁判所は、Iが睡眠時無呼吸症候群と診断され、医師から「睡眠薬の使用は自殺行為に等しい」と警告されていたにもかかわらず、眞須美らがハルシオン等の睡眠薬を入手していた事情などを総合し、意識消失事件の内の少なくとも数回の発作は第三者(林夫婦のどちらか、又は両方)により睡眠薬を摂取させられた結果であるとし、Iを共犯ではなく明確に殺人未遂の被害者として認定している。[27][61]
一方で、林家長男の「鼻からストローで白い粉を吸っていた」「何らかの薬物依存症に陥っていた」といった主張については、眞須美、健治長男本人、I、医師、その他の証人供述のいずれにも現れず、それを裏付ける物証や診療記録も示されていない。したがって、裁判中に、Iが違法薬物の乱用や薬物中毒であったとする事実は一切現れていない。長男は、こうした点を「なぜ公判中に述べなかったのか」という問いに対し
と説明している。知人男性Iを「保険金詐欺の共犯」「薬物中毒者」と位置付ける林家長男の主張は、裁判記録や医療記録、眞須美、I本人、その他証人の供述、さらには弁護側の主張とも整合せず、客観的な証拠に裏付けられた見解ではない留意したい。[27][61]
日弁連支援に関する林家長男の説明
本件が日本弁護士連合会(日弁連)が支援する再審事件[注 37]に含まれていない理由について、林家長男は
と説明している。ただし、日弁連や関係弁護士会は公式に同旨の理由を示してはいない[73]。日弁連がどの再審事件を支援対象とするかについては、個別事案の選定基準、内部判断も関わるため、公表されていない要素も多く、本件についても「林家側が断ったため支援がない」という主張は、現時点では一方の当事者の説明にとどまる点に留意したい。
林家長男の事件当時の供述
林家長男は、事件当時小学5年生で、第一審公判で証言した時点では中学2年生であった。夏祭り当日の午前から午後1時過ぎまでの行動経過や、母・林眞須美の服装、ファミコンショップに行った時間帯、ガレージやカレー鍋の周辺に誰がいたかなどについて複数回供述しているが、その内容は捜査段階と公判段階で大きく変遷している。裁判所は、これらの変遷や矛盾を理由に、長男の証言の信用性を厳しく低く評価した。裁判所はまず、「近隣住民が多数倒れ、その後父母が逮捕され、自身も警察、検察、裁判所から繰り返し事情聴取を受けている経過からすれば、長男が事件の重大性を理解していなかったとは考えがたい」と指摘した。そのうえで、そのような状況にありながら、母を有利にする方向に供述内容が変化している点を重視した。具体的には
- 夏祭り当日にファミコンショップへゲームソフトを買いに行った時刻について、捜査段階と公判証言で「午前だった」「午後だった」と説明が入れ替わった
- カレー鍋の見張りやガレージへの出入りのタイミングについても、午前、午後の区別や、誰と一緒にいたかの説明が、捜査中証言と裁判中証言の間で食い違い、裁判中でも質問に応じて二転三転していること。
- 母の服装についても、当初は他の住民の証言と整合する「明るい上衣」という趣旨の説明をしていたのに、公判では「黒っぽいTシャツだった」と変わり、複数の住民が一貫して述べる「白っぽいシャツに黒っぽいズボン姿の眞須美」を否定する方向に変遷したこと。
さらに長男自身、公判で
- 「その日いきなり呼ばれて長時間取調べを受け、途中で疲れて眠くなり、分からないところは『分からん』と言おうと思って適当に答えたことがある」
- 「姉から『服装のことなんか適当に言っとけ』と言われ、自分もその方が母の助けになると思って、服装以外の点でも適当に言った部分がある」
と述べており、自ら供述の一部が「適当に言ったもの」であることを認めている。裁判所はこれらを踏まえ、長男には母を有利にする方向で記憶を作り替えたり、都合よく話を変えたりする動機があるとし「証言の信用性を支える基礎的条件が弱い」とした。そのうえで、捜査段階と公判段階の供述、さらには公判内での説明を対比すると、「事件当日の午前から昼にかけての具体的な行動経過については特定の事実経過を一貫して再現することすら困難といわざるを得ず、近隣住民の一貫した証言とも大きく食い違っている」と指摘された。このため裁判所は、長男の証言を「種々の点で信用性に欠け、近隣住民の供述から認定される事実関係に影響を与えるものではない」とし、ガレージ周辺の状況やカレー鍋への接近状況などの認定は、主として住民らの証言やその他客観的証拠に基づいて行われた[27][61]。
その他
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事件の陰謀論と誤情報
要約
視点
本事件は、発生当初から全国的な注目を集めたことや、その後も書籍、映像作品、インターネット上で繰り返し取り上げられてきたことから、さまざまな誤情報が広まり続けている。これらは確定判決の事実認定とは別個に提示されてきた見解であり、本項では、社会的に知られているおもな説や論点を中心に、その内容を整理する。
飼い犬毒殺事件・少年A犯人説
インターネット上では、「事件前に園部地区で多数の犬や猫が毒殺されており、その犯人とされる『少年A』こそがカレー事件の真犯人である」とする説が流布している。しばしば根拠として挙げられるのは、林家長男が自著やインタビューの中で述べたとされる次のような回想である。
- 事件翌日、父・健治がニュースを見ながら「これは、あれやな。あの犬を殺ったヤツが犯人やな」と発言していたとする証言。[74]
- 近所の高齢女性が「この辺の飼い犬が何十匹も毒殺されている」「林家の裏の畑に毒がまかれ、1年間使えなくなった」などと話していた、というエピソード。
この「飼い犬毒殺事件」「少年A犯人」説は、以下の点で問題がある。
1.裁判記録に一切現れないこと
第一審判決・控訴審判決・上告棄却決定・再審請求棄却決定などの公的な裁判資料には
- 事件前後に「園部地区で多数の飼い犬・猫が毒殺された」とする事実
- 「林家裏の畑に毒がまかれ、1年間使えなくなった」といった出来事
- それに関連して噂された「少年」その他の特定人物
はいずれも一切記載されていない。また
- 弁護側が「飼い犬毒殺犯(少年A)が真犯人である」といった対立仮説を法廷で主張した形跡はなく
- 林眞須美・健治・林家の親族や近隣住民の証言の中にも、捜査・公判の過程でそのような大規模な飼い犬毒殺事件に言及した供述は見当たらない。
もし実際に「何十匹もの飼い犬が毒殺され、畑が1年間使えないほど毒物が撒かれた」のであれば、自治会範囲では済まず、保健所や警察への相談、新聞報道、捜査資料などに何らかの形で痕跡が残るのが通常と考えられるが、捜査経過や林家、住民の供述にも、そのような事件は登場しない。[27][61]
2.「少年A」が捜査線上に浮かんだ形跡がないこと
各所では、「飼い犬毒殺の犯人とされた少年Aが、カレー鍋にも毒を入れた」とするストーリーが語られることがある。しかし
- 捜査資料や裁判所の認定には、カレー事件の犯人候補として「少年」が具体的に浮上したことはなく
- 「飼い犬毒殺事件とカレー事件の関連」が、捜査機関や裁判所によって真剣に検討された形跡もない。
以上のことから「少年A」なる人物が実際に存在するかについても留意が必要である。
3.事件当時、ヒ素は林家以外が容易に持てる物質ではなかったこと
「少年A」が仮に存在したとしても、そもそも事件で使われたような亜ヒ酸に容易に入手できないという根本的な問題がある。裁判記録や当時の法規制、鑑定結果からは、次のような事情が認定されている。
- 事件で用いられた三酸化二ヒ素(亜ヒ酸)は、毒物及び劇物取締法上の「毒物」に指定されており、製造・販売・保管には都道府県知事への登録、帳簿記載、施錠保管などの厳格な管理が義務づけられていた。一般住民、特に子供が日常生活の中で自由に購入、保管することは現実的に不可能である。
- 亜ヒ酸やその他のヒ素化合物は、かつて農薬やシロアリ駆除剤として用いられていたが、強い毒性や環境負荷の問題から1960年代以降段階的に代替薬剤への切り替えが進み、1990年代後半には一般農家や通常の業者が使用する例はきわめて少なくなっていた。
- 捜査当局は、園部地区周辺の住民や業者についても、ヒ素系薬剤の所持状況を調査したが、カレー事件当時にまとまった量の亜ヒ酸を保管していたのは、過去にシロアリ駆除業を営んでいた林家関係者のみであった。
- 科学鑑定(異同識別鑑定)では、カレー鍋や青色紙コップから検出された亜ヒ酸と、林宅・兄宅ガレージ等から押収された亜ヒ酸が、原料鉱石由来の微量元素パターンにおいて「同じ原料・同じ製造ロットとみられるほどよく一致する」ことが示され、捜査、再審請求過程を通じても、同様の特徴を持つ別製品や第三者所持の亜ヒ酸は具体的に確認されていない。
これらを踏まえると「園部地区にはヒ素がありふれており、少年Aがカレーに入れた」とする説は
- 当時の法規制と流通実態
- 林家以外にヒ素の保管が確認されていないという捜査結果
- 嫌疑亜ヒ酸とカレー鍋のヒ素が同一ルート由来であるとした鑑定結果
のいずれとも整合しない。「飼い犬毒殺事件」「少年A犯人説」は、現時点での裁判資料や公的記録に裏付けを持たず、検察、弁護側双方の主張や裁判所の事実認定、ヒ素の裁判所の認定からも完全に外れているという性格を持つものであるという点に留意する必要がある。[27][61][30]
台所のヒ素付着タッパー捏造説
林宅台所で押収されたタッパーについて
- 家宅捜索の4日目に突然見つかったのは不自然である
- 指紋も付いておらず、警察が後から持ち込んだ捏造証拠である
とする主張が流布している。しかし、刑事裁判の判決が認定した経過は、これとは異なる。
- 家宅捜索は1日で完結したものではなく、数日にわたって部屋ごとに順次行われており、台所流し台下の収納部が詳しく調べられたのはそのうちの一日である。その際、他の容器とともに本件タッパーが押収されたと記録されている。
- 押収されたタッパーはビニール袋で封かんされて警察署内で保管された後、鑑識に回され、外側からの指紋検出作業が行われた。内部については付着物を保護するためラップ等で覆った状態で保管され、その後、科学捜査研究所、科学警察研究所へ順次送致されている。押収から鑑定に至るまでの経過は、証拠品管理簿や鑑定嘱託書、回答書等で具体的にたどることができ、途中で新たにヒ素を付着させるような操作が行われたことをうかがわせる事情は認められていない。
指紋についても、「まったく付いていなかった」のではなく、タッパー側面などからは指紋らしき痕跡が検出されたが、形状が不鮮明で個人識別に利用できる水準ではなかったとされている。再審請求手続においては、弁護側が新たな検分結果をもとに
- タッパー外面には砂などが付着しており、屋外で使用されていた形跡がある
- そのような容器が「台所流し台下」から発見されたのは不自然である
といった点を指摘した。これに対し裁判所は
- タッパーが過去に屋外でも使用されていたことがうかがえるとしても、その後に屋内収納へ移されていた可能性は十分にあり、それだけで押収経過全体の信用性を否定することはできないこと
- 押収から保管・鑑定に至る手続は記録上具体的に追うことができ、「警察が後日、外部から持ち込んで証拠化した」とみるべき事情は見当たらないこと
を理由に、捏造を示す事情とは認めなかった。こうした裁判記録に照らすと、「家宅捜索の4日目に突然ヒ素が付着したタッパーが出現したのは、警察、鑑識、検察による捏造である」とする説は、裁判所が認定する事実関係とは整合しない。[27][61][30]
長女、次女真犯人説
「カレーにヒ素を入れたのは林家の長女または次女であり、眞須美はそれを知りながら娘を庇っている」とする説も語られている。しかし、裁判所は「証拠上、林眞須美以外が犯行を実行するのは不可能である」と認定している。
裁判所は、東カレー鍋への亜ヒ酸混入が行われた時間帯について、夏祭り当日の正午過ぎ〜午後1時頃、ガレージ内でカレー鍋の「見張り番」をしていた眞須美が単独で鍋に接していた時間帯に行われた可能性が高いと認定した。この間に他の住民が東カレー鍋に近づき、こっそり毒物を投入したと認めるに足りる証拠はないとされた。
また、亜ヒ酸の出所については、シロアリ駆除業を営んでいた夫・健治が保管していた薬剤や、それを小分けしたミルク缶・容器など、林家関係の限られたルートが特定されている。これらの容器と青色紙コップ・カレー鍋中の亜ヒ酸が同じグループに属すると評価されていることから、「亜ヒ酸に実際に接触し得た可能性のある人物」としては、林夫婦およびその兄など、ごく限られた大人の範囲にとどまる。
さらに、裁判所は、眞須美が事件の約1年半前から、夫・健治や知人男性Iらに対し、保険金目的で亜ヒ酸入りの食べ物を提供する殺人未遂を繰り返していたと認定している。すなわち、「亜ヒ酸を用いて飲食物に毒を入れ、人目につきにくい形で生命を脅かす」という手口自体が、カレー事件以前から眞須美によって実行されていたと認定されている。一方で、長女・次女については
- 当時子供であった長女、次女が、公判まで保険金殺人未遂の被害者らですら凶器が亜ヒ酸であることを知らず、ごく限られた大人以外認識していない亜ヒ酸の保管場所を把握していたこと
- カレー鍋に単独で接近し、他人に気づかれずに毒物を投入できる時間帯に現場で行動していたこと
などを示す証拠は、公判記録上存在しない。裁判所も殺害行為を具体的に可能だったと認定した人物は林眞須美のみである。
林家の経済状況
各所では、「林眞須美、健治夫妻は高額の保険金で十分に裕福であり、巨額の収入があったのだから、リスクを犯してまで無差別大量殺人を行う動機はない」とする見解がしばしば示される。しかし、刑事裁判の判決が認定した生活実態や資金繰りは、これとは大きく異なる。
林夫妻は1980年代後半以降、眞須美は親族や知人を被保険者とする多数の生命保険・損害保険を契約し、その一部では実際に死亡保険金や高度障害保険金を受領していた。例えば、健治の急性ヒ素中毒に関連する高度障害保険金、眞須美の母の死亡保険金などから、長期的には数億円規模の保険金収入があったと認定された。
一方で、これらの保険金収入が安定した資産形成には結び付かず、短期間のうちに生活費、遊興費、高額な買い物などに費消されていたことも詳細に認定している。林夫妻は多数の保険契約を維持するために毎月多額の保険料を支払い続けており、その合計は月数十万円規模に達していた。さらに、自宅の住宅ローンや各種ローンの返済、複数の消費者金融・信販会社からの借入、高額な貴金属、衣料品や自動車、家電の購入に加え、約6,300万円のリゾートマンション購入契約(うち約5,730万円の残代金支払義務)などの負担が重なっていたとされる。
その結果、カレー事件後まもない1998年(平成10年)8月末時点で、林夫妻名義の銀行預金残高は約4,850万円であったのに対し、銀行ローン等の借入残高は約7,700万円に達しており、裁判所はこの時点で約2,850万円の債務超過状態にあったことを明示している。これに、将来支払うべきリゾートマンション残代金約5,730万円などの大口支払義務を加味すると、実質的な資金繰りはさらに厳しかったと評価される。
このように、裁判所が客観的資料に基づき認定した経済状況は、「保険金で裕福であり、リスクの高い犯罪に出る余地はなかった」というイメージとは異なる。実際には、多数の保険契約による高額な月々の保険料負担と、多数のローン、浪費、投機的支出によって家計は逼迫しており、事件当時には既に債務超過に陥っていた。[27][61]
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冤罪疑惑
要約
視点
本事件の最たる特徴としては、被告人・林眞須美による犯行動機が明確になっておらず、直接的な証拠も存在しないという点が挙げられる。有識者からは冤罪疑惑を指摘され、長らく問題視されている。一方で本事件は、日弁連が支援している再審事件に含まれていない[73]。
動機が未解明であること
- 「批判を承知であえて言えば、本人が容疑否認し、確たる証拠はない。そして動機もない(※)。このような状況で死刑判決が確定してよいのだろうか?」(田原総一朗)[75]。
- 「私のわだかまりも、この『状況証拠のみ』と『動機未解明』の2点にある。事件に、林被告宅にあったヒ素が使われたことは間違いない。ただし、そのヒ素に足があったわけではあるまいし、勝手にカレー鍋に飛び込むわけがない。だれかが林被告宅のヒ素をカレー鍋まで持って行ったことは確かなのだ。だが、果たしてそれは本当に林被告なのか、どうしたって、わだかまりが残るのだ。」(大谷昭宏)[76]。
- 「動機未解明で有罪にすること自体はありえますが、動機というのは非常に有力な状況証拠です。動機がないなら証拠が一部欠けているということなので、他の証拠はそのぶんしっかりしてないといけません。しかし、他の証拠をみても、自白はなく、鑑定に問題はあり、原則禁じられた類似事実[注 22]による立証をやっている。本件の場合は動機がないなら、全体的な証拠構造が問題です」、「人は普通、動機がないと人を殺しません。しかもこの事件の場合、犯人が誰を殺そうとしたのかもわからない。動機がないと真相がわからない事案だけに、余計に、動機なしでいいのかな、と思いますね」(白取祐司)[77]。
- 「動機なし、自白なし、物証なし。」、「現代の魔女狩り」と指摘している(宮台真司)[78]。ただし、亜ヒ酸、3価の無機ヒ素が付着した眞須美の毛髪などは物的証拠である。
- 大阪高裁は動機について、「経緯にかんがみると、ガレージ内で他の主婦から疎外され、氷の件で近隣を回らされるなどしたことに対する腹立ち紛れから犯行に及んだと見るのが最も自然であるが、被告人が真実を語ろうとしない状況において、そのように断定することまでは困難である」とした上で「本件全証拠を精査しても、被告人の行為を多少なりとも正当化し得る事情はうかがえないのであって、少なくとも、被告人が、およそ人を殺傷する理由とはならない理不尽で身勝手な動機目的のために上記犯行に及んだことは確かである」と判示した[61]。
黙秘権について
- 「2審判決は『(関係証拠とも一致せず)誠実に事実を語ったことなど1度もなかったはずの被告人が、突然真相を吐露し始めたなどとは到底考えられない(状況にある)』と言ったが、これは実質的に黙秘権侵害です」(小田幸児:林の1審、2審、上告審弁護人)[77]
カレー鍋へのヒ素混入の機会
カレー鍋にいつ、誰がヒ素を入れ得たかについて、捜査当局は住民らの供述をもとに、1998年7月25日の動きを分単位で再現し、鍋の近くに誰がいたか、ふたが開けられ得た時間帯をタイムテーブル化した。その結果、ヒ素が検出されたのは東側のカレー鍋のみであり、この東鍋については、林眞須美がガレージ付近で見張り番として一人になる時間帯があったことが認定されている。この時間帯には、他の班長や住民はガレージから去っており、眞須美だけがガレージ内の鍋のそばにいたとし、裁判所は「東鍋へのヒ素混入が行われたのは、この時間帯である蓋然性が高い」とした。一方、夏祭り当日は「午後からは班長らが1時間交代で鍋を見張る」という自治会内の取り決めがあり、眞須美以外にも3人の住民(A〜C)が単独で鍋番をしていた時間帯が存在したことも事実として認定されている。しかし、これらの住民やその家族は実際にカレーを食べて中毒被害を受けており、亜ヒ酸との接点をうかがわせる事情も捜査上見いだされていない。また、彼らの見張っていた時間の多くは、いつ他の住民や次の当番が来るか分からない短時間であり、落ち着いて毒物を取り出し、鍋のふたを開けて混入するには現実性が低いとした。これに対して、その他の時間帯は常に複数人が鍋の近くにおり、不審な人物が鍋に接近したという供述もないことから、裁判所は、ヒ素の入手可能性と時間的機会の双方を総合し、「現実的に東鍋にヒ素を混入し得た機会があった人物は、林眞須美にほぼ限定される」と認定した。[27]
住民Fによる目撃証言
住民Fは、夏祭り当日の正午前後、自宅二階の両親寝室のベッド付近の位置から千葉方ガレージ内を見下ろし、カレー鍋付近にいた林眞須美の様子を目撃した。また、住民Fは「白っぽいシャツに黒っぽいズボンをはき、首にタオルをかけた眞須美が、道路の方を何度も気にしながら、調理済みカレーの入った鍋のふたを開けていた」を見たと供述し、捜査、公判段階に複数枚の絵を描いてその状況を説明した。 この証言については、「最初は一階リビングから見たと供述していたのに、のちに二階寝室からの目撃に変わったのは不自然だ」との弁護側の批判があった。これに対し、裁判所は、住民Fが当初の「一階から見た」という自分の認識に疑問を持ち、「鍋の下のコンロが見えたかどうか」「湯気の上がり方」「眞須美の首や肩の見え方」「赤いゴミ箱の位置」など、目撃時の具体的な景色と実際の見え方を一つ一つ照らし合わせる中で、「二階の両親寝室から見たと考えるのが自然だ」と修正に至った経過を詳細に認定した。 平成10年12月12日に住民F宅で実施された検証では、二階寝室南側の掃き出し窓から見たガレージの状況を図面化した「図10」と、住民Fが「一人でいる眞須美が鍋を見ている様子」を描いた「図11」とがよく符合していることが確認され、裁判所は「目撃時のガレージの状況に関する記憶が具体的かつ明確であり、その疑問の持ち方も合理的である」として、住民F証言の信用性は高いと評価した。 また、弁護側は「住民Fが見たのは、母親に体格が似た次女である可能性がある」と主張したが、判決は、住民Fが林宅のごく近所に住んでおり、当日も眞須美と次女が一緒にいる場面を目撃していたことから識別能力は十分であること、証拠上この時間帯に次女がガレージに一人でいた事実は認められないことを指摘し、「住民Fが目撃した人物は眞須美である」と明確に認定している。さらに、「住民F自身には二階に上がった記憶がない」との点についても、裁判所は、住民Fが両親寝室に上がることは日常的であり、事件当日の午前中も二階で過ごしていたことから、「二階に上がったという行為自体の記憶の欠如は、目撃内容の信用性に影響しない」として、証言全体の信用性を維持している。 [27]
林家次女の証言
林眞須美の次女は「夏祭り当日は一日中ほぼ母と一緒におり、母が一人で鍋のそばにいた時間はない」と供述し、眞須美には単独での混入機会はなかったと主張した。また、鍋のふたを開けた人物についても「それは自分だった」とする趣旨の話をしている。裁判所はまず、次女が眞須美の実娘であり、母の無罪を願う強い動機を持つことから「供述の信用性を支える基礎条件が弱い」と位置づけたうえで、捜査段階の供述との変遷や、具体的事実との矛盾を丁寧に検討している。争点となったのは、ガレージ内で鍋のふたを開けていた人物の同一性である。住民Fは、「白っぽいシャツに黒っぽいズボンをはき、首にタオルをかけた眞須美が、道路の方を何度も気にしながら、調理済みカレーの入った鍋のふたを開けていた」と供述した。これに対し弁護側は、「服装や体格からすれば、その人物は次女だった可能性がある」「開けていたのはヒ素の入っていない西鍋だった」と主張した。しかし裁判所は
- 住民A・住民G・住民Fのいずれもが「眞須美は白っぽいシャツと黒っぽいズボンだった」と供述し、これに明確に反する証言者はいないこと
- これに対し次女は「母は夏に太って見える白い服は着ない」「自分は毎日のように首からタオルをかけていたが、母はしていなかったと思う」と述べ、自分の当時の服装や癖を母のものに上書きする形になっていること
などを踏まえ、「次女は、住民Fが見た人物を自分であったと見せかけるため、母の服装やタオルの有無について虚偽の供述をしている」と評価した。さらに次女は、「調理から数十分後のカレー鍋に指を入れて味見をした」と供述したが、同日と同条件で行われた実験では、1時間後でもカレーの温度は約6℃程度しか下がっておらず、素手で指を入れて味見できるほど冷めていなかったことが確認されている。眞須美は「自宅で素麺を茹でていた際、次女が電話で友人とクラブ活動の話をしていた」と述べたものの、該当の電話の通話時間は約11秒に過ぎず、雑談的な会話をするのは現実的ではないことが通信記録から判明している。
また、住民Aに言われて氷のことを聞いて回ったとする10分間で、健治と会話したり、素麺をゆで始めて子供らが完食後に庭で遊んでいたのを見たりする供述は物理的に不可能であり、それぞれの供述と辻褄が合わないことも裁判所に指摘された。これらの客観記録や実験結果との矛盾に加え、次女自身が「捜査段階では母をかばうために嘘をついた」と供述していることも踏まえ、裁判所は「次女の供述は、眞須美が鍋のふたを開けていたという住民Fの証言を打ち消すために後から作られたものであり、全く信用できない」と評価した。[27]
ヒ素の異同識別鑑定について
本件では、林家に保管されていた複数の亜ヒ酸(嫌疑亜ヒ酸)と、カレー鍋、青色紙コップから検出された亜ヒ酸が同じ由来かどうかを調べるため、警察庁科学警察研究所の鑑定や大学研究者による複数の異同識別3鑑定(科警研鑑定、中井鑑定、谷口・早川鑑定など)が実施された。これらは、原料鉱石に由来する微量元素のパターンを比較し、「嫌疑亜ヒ酸」とカレー鍋中の亜ヒ酸が同じグループに属するかどうかを検討したものである。再審請求手続において、弁護側鑑定人であるK教授(分析化学・工学系の研究者)は、特にSPring-8を用いた中井鑑定の手法やデータ処理に問題点があると指摘し、異同識別鑑定全体の信用性に疑問を呈した。ただしK教授は、自ら新たな亜ヒ酸試料を採取・測定したわけではなく、既存鑑定の元データと解析方法を再検討したうえで
- 「他社製品には同じ特徴を持つ亜ヒ酸が存在しない」とまで断定するのは行き過ぎであること
- バリウムをシロアリ駆除由来[注 6]と言い切る説明には、環境由来など他の可能性を十分検討していない部分があること
などを問題点として挙げた。裁判所は、こうした弁護側の批判を一部受け入れ
- 「他社製品に同種の亜ヒ酸が全く存在しない」とする点
- 「関係亜ヒ酸はいずれもシロアリ駆除由来のバリウムを共通して含む」とする点
これらついては「相当性を欠く部分があり、その限度で異同識別鑑定の証明力は低下する」と認定した。他方で
- 嫌疑亜ヒ酸とカレー鍋中の亜ヒ酸は、原料鉱石に由来する微量元素の構成・比率が酷似していること
- 対照として調べられた市販亜ヒ酸、他社製品とは統計的に別群を形成していること
といった「核心部分についてはいささかも動揺していない」とし、「嫌疑亜ヒ酸とカレー鍋から検出された亜ヒ酸の組成上の特徴は同じであり、この点で異同識別鑑定は林眞須美の犯人性を支える重要証拠であることに変わりはない」と結論づけた(詳細はヒ素と化学鑑定の節にて記述)。[27][61][30]
夫健治・知人男性Iへの保険金殺人未遂冤罪説
カレー事件とは別に、林眞須美は、夫・健治および知人男性Iに対する保険金目的のヒ素使用殺人未遂事件でも有罪判決を受けている。第一審の段階まで、眞須美はヒ素の使用も一切否認していたが、控訴審に入ってから主張を大きく変更し「大切にしていた実母の死亡保険金1億4,000万円のうち、健治が数千万円を勝手に使い込み、それが原因で夫婦喧嘩になった」「穴埋めのために健治が自らヒ素を飲んだ」「知人男性Iも保険金を狙い、自からヒ素を飲んだ」と述べ、自身の殺人未遂責任を否定する供述を行った。また健治も、これに沿う内容の証言[注 25]をしている。しかし大阪高裁は、判決の中で次のような点を挙げ、眞須美・健治の控訴審での説明は「まったく信用できない」と判断した。
1.実母の死亡保険金の使途
眞須美は「大切な母の保険金を健治に使い込まれた」と主張するが、実際には、実母の死亡直後に速やかに保険金を請求・受領し、その金で
- ローンや消費者金融の返済
- リゾートマンションの手付金支払い
- 県内の土地購入
などを行い、その後も一般家庭では考えられないほど贅沢な生活を続けていた。さらに、母の死後[注 38]間もない時期に病院で両脚の激痛[注 39]を装うなどの大げさな振る舞いを見せ、保険会社担当者に対しても脅迫まがいの言動をしていたことから、「死亡保険金を大切にしていた」という主張は到底信用できないとされた。
2.健治の性格・態度との不整合
証人尋問の結果、健治は「言い逃れが巧みで自己中心的、短気で、眞須美に一方的な暴力をふるっていた」と周囲から一致して証言されており、自分の非(母の保険金の使い込み)を認めて自らヒ素を飲むとは考えがたいとした。
3.ヒ素の危険性を知っていた人物が自分から飲むことの不自然さ
林夫婦は、それ以前に従業員Yが急性ヒ素中毒により激しい嘔吐の末に死亡し、従業員Mも同様の症状から重い神経障害に陥る過程を間近で見ていた。そうした経験を踏まえれば、健治がヒ素の危険性と苦痛をよく知っていたことは明らかであり、その健治が「穴埋めのために自分からヒ素を飲んだ」というシナリオは極めて不自然とされた。にもかかわらず、眞須美らが危険なヒ素を「仮病薬」として使っていたと説明する点も、裁判所は不合理としている。
4.健治供述の変遷
健治は第一審において、自身がヒ素中毒であること自体を否定し、その有無を確かめるための検査も拒否していた。しかし、第二審から「保険金目的で自らヒ素を飲んだ」と突如主張を変遷させた。また、これらを弁護人にすら知らせていなかった。
5.知人男性Iの症状と医療記録
眞須美と健治は、Iについても「症状は軽かった」「Iが自ら飲んだ」と主張したが、Iは井上教授による神経学的検査で、重度の急性ヒ素中毒患者に特有の多発ニューロパチー(末梢神経障害)が確認されている。また、担当医師や看護師は、「Iは自分から大げさに症状を訴えるような人物ではなく、痛くないところは『痛くない』とはっきり言っており、症状を装っている様子はなかった」と一貫して証言しており、病院の診療録からも重症であったことが裏付けられている。
これらの点を総合し、大阪高裁は「眞須美および健治の各当審供述は、健治および知人男性Iに対するヒ素使用殺人未遂事件のいずれを取っても、不自然で、かつ、他の証拠と矛盾、抵触する点を数多く含んでおり、まったく信用できない」とした。[27][61]
- 一連の詐欺事件[注 40]について大阪高裁は、「たとえば、『真冬にバーベキューをしていて自転車で突っ込んだ』と偽るなど、眞須美らの保険金詐欺の方法は杜撰で露骨であり、巧妙ではない。また、彼らの手段は、病院関係者に金品を贈って有利な診断書を作らせたり、暴力団に関係があるかのように装って脅したりするなど、場当たり的で直接的である」と評価した。そのうえで、「眞須美と健治の、健治への殺人未遂の証言は、『健治が平成9年1月30日に保険金詐欺を思いつき、その日の内にヒ素を飲んでしびれた状態を作り、計画的に高度障害を装った』というものだ。そして健治は、『病院に行く時間まで計算し、眞須美や知人男性Iに細かい指示を出しながら、計画通りに保険金詐欺を実行した』と証言しているが、上記の通り、健治が企てたとは到底考えられない経緯となっている」とした[79]。
健治への誘導尋問問題、司法取引疑惑
- 林死刑囚の夫・林健治によれば、逮捕された際捜査員より「眞須美はオトせない!頼むから眞須美にヒ素を飲まされたと書いてくれ!書いてくれたらあんたを八王子の医療刑務所に入れるようにしてやる」と言われたという[80]。これは現在では司法取引に該当するが、当時は違法である。しかし、これらは健治、眞須美および、弁護人が裁判中に一度も主張していない証言であることに留意したい[27][61]。
- 上記の「司法取引」に関しては、2020年10月27日に公開されたYouTube動画でも林健治自身が詳しく語っている。健治の証言によると、逮捕から約1週間後、19時ごろに検察庁から小寺検事と事務官2名が健治の拘留されている警察署を訪れた。 健治が「確たる証拠も証人もなく、ワシも口割ってないのに、なぜ逮捕し勾留しているのか」と質問したのに対し、小寺は「アホ、こんだけ世間を騒がしてマスコミが騒いで、パクッて今さら、間違えましたではすまんやろ」と返答したため、健治が「死刑事案なのに、想像でパクッてしまうんか?」と質したところ「いや、今からそのストーリーをワシが考えてやる」、「しかし、証拠がないから困っている」と言い、健治に対して、眞須美にヒ素を飲まされて殺されかかった被害者として初公判の場では「私、今でこそ眞須美が憎くて仕方ない。どうぞ、この女を死刑にしてやってくれ」と述べて泣けと言ったという。 さらに、小寺は健治の事件の公判も担当することから、「求刑も自分が出すので塩梅してやる。ワシに乗れ。ワシに乗ったらお前は身体が不自由だから、エエとこに放り込んでやる」などと言い、また八王子の医療刑務所のパンフレットを健治に見せたが、そこにはMRIなど最新鋭の医療機器が写っていたという。さらに、今、八王子には角川春樹が収監されているので、彼に本を書いてもらえと言った。小寺は「この事件でワシを出世させてくれ」「ワシもお前と同じで4人子供がいる。よい正月を迎えさせてくれ」と事務官2人とともに健治に土下座までしたという。 さらに「お前がどうしても口を割らないのなら、眞須美にひとこと言わせてやる。"私は元日本生命の外交員です。あの日昼頃帰って、主人が何か紙コップに入った薬品のようなものを私に渡して、これカレーの中に入れたら隠し味になって美味しいんで持っていって入れてこいというので、何かわからずに入れました。ヒ素は主人から預かっていたもので、私は知りません。主人の言うままにやっただけです"-これひとこと、眞須美にしゃべられたら、一生お前の人生は裁判になってしまうぞ!」と恫喝したというが、これに健治が応じなかったため、小寺は手を上げたという。なお、健治も眞須美も検察の供述調書には1枚もサインをしなかった[81]。
- ノンフィクションライターの片岡健も2021年5月28日に公開されたYouTube動画で、上記の健治の主張を裏づけるような話をしている。片岡によると、健治以外の者たちの何人かは警察によって山奥の警察官官舎に3、4か月隔離されるなどしており、このことは、林の死刑判決でも認定されているという[82]。一方で、警察勤務の父を持つ知人男性Iらが、マスコミの異常な取材攻勢から身を守るために依頼しており、その他いっさいの利益誘導も取引もなかったことも認定されている[79]。
本件の科捜研主任研究員が別事件で証拠の捏造をしていたこと
本事件の初期捜査において青酸化合物と誤判定[注 3]した和歌山県警科捜研主任研究員が、他の事件で証拠を捏造したとして証拠捏造、有印公文書偽造および行使容疑で2012年に書類送検されたことが判明した。しかし、捜査関係者によれば、研究員が携わったカレー事件での捏造はなかったと結論づけている[83]。
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事件の影響
要約
視点
→「報道被害」も参照
林の家族
林夫婦には4人の子供がいたが、事件当時はマスメディアが24時間自宅を取り囲み、子供らは外出ができなくなり、通学もできなかった。当時中学3年生で高校受験を控えた長女が残した当時のノートには、「ポスト、誰かのぞく」「家の中みてる。じ~っと」など、家を取り囲むマスコミの姿が描かれていた。長男は、長女の中にはこのころの記憶が鮮明に残っており、恐怖心として残り、自殺につながったのではないかと推測している[84][85]。
両親の逮捕後、子供らは児童養護施設に預けられるが、「カエルの子はカエル」と言われ、壮絶ないじめを受けた。長女は、他の3人の子供が警察に事情聴取に呼ばれた際には「分からないことは分からないと言いなさい」と諭すなど、母親代わりとなり、兄妹の面倒を見た。事件の7年後、長女は21歳で結婚し娘を出産。その4年後、最高裁で母・眞須美の死刑が確定。長女は境遇を隠すため、母や長男とはいっさい関係を断つよう、家族に告げたという。長女は名前を変え周囲には素性を隠して暮らし始めた。しかし、8年後には離婚。娘の親権は夫に渡る。その理由は、夫には両親がいることだった。このため長女は長く娘には会えなかった。長女が事件にとらわれる姿を離婚後に交際した男性が記憶しており、その男性の証言では、事件のことがいつ流れるかもしれないため、長女は部屋にテレビがあってもつけない。「見ていい?」と男性が聞くといつも音楽をかけていた。顔を撮られることを恐れ、男性の手元には後姿の画像しか残されていなかったという[84][85]。
子供らの中では、長男だけが唯一、無実を訴える母・眞須美と面会を続けてきた。長男も職場や友人には身分を隠しており、そのことによる罪悪感を抱きながら生きているが、長女も自分を偽って暮らしていく中で、自分のついている嘘に飲み込まれる感じがあり、虚しさみたいなものがあっただろうと推測している。長女は2015年に再婚。新たに娘を出産。また2018年より前夫との娘とも同居していた。
林眞須美死刑囚の長女による虐待死と無理心中事件
2021年6月9日、和歌山市加納のアパートで、林眞須美死刑囚の長女Rと前夫との間の娘である娘T(16歳)が倒れているのが発見され、全身打撲による外傷性ショックで死亡が確認された。同居していたのは、母親であるR、その再婚相手である夫K(当時41歳)および林家長女Rと夫Kの間の幼児Cであった。
娘Tは2018年頃からR宅で同居を開始したが、その後欠席・遅刻が急増し、最終的には配布物受け取りなどを除いてほとんど登校しなくなった。公判で検察は、林家長女Rが娘Tに対し、家事や幼児Cの世話を事実上一日中強要して学校に行かせず、「ペンチでの抜歯」「カッターナイフでの切りつけ」「顔面や頭部の踏みつけ」「棒やアイロンによる打撲、熱傷」など、長期にわたる凄惨な身体的、精神的虐待を繰り返していたと主張した。スマートフォンのLINEには、外出中にテレビ電話機能で5時間以上家事の様子を監視していた記録や、「殺すぞ」「しばくぞ」といった林家長女Rからのメッセージと、それに従う娘Tの返信が残されていたほか、「台所の戸棚には抜かれたTの歯が2本、見せしめのようにテープで貼り付けられていた」とされる。
2021年6月上旬には、Tはほとんど食事をとれず、おむつを着用しなければならないほど衰弱していたにもかかわらず、林家長女Rは6月7日にも洗濯物干しなどの家事を命じ、サボっていると決めつけて背後から蹴倒し、倒れた頭部を2回踏みつけたとされた。翌9日、夫Kが林家長女Rとともに幼稚園児Cの迎えから戻ると、林家長女Rは「娘Tが息をしていない」と告げ、夫Kが室内で倒れている娘Tを発見して救急車を呼んだが、搬送先の病院で死亡が確認された。
一方、林家長女Rは病院には姿を見せず、木下にテレビ電話で「関空の橋から飛び降りる」と告げ、「⚪︎⚪︎ちゃん(夫Kの愛称)、ごめん、もう死ぬわ。好きに生きなよ」と言い残して通話を終了した。その後、林家長女Rは幼稚園児Cを連れて関西国際空港連絡橋から飛び降り死亡し、幼児Cを道連れにした殺人容疑で書類送検された。警察は、適切な医療を受けさせなかったことが娘Tの死亡の直接原因となったと判断し、同居していた養父である夫Kを保護責任者遺棄致死容疑で逮捕、起訴した。
和歌山地方裁判所の裁判員裁判では、虐待と医療不受診により娘Tが死亡した事実関係に争いはなく、量刑が主な争点とされた。検察は、虐待の主導者は林家長女Rであるものの、夫Kにも保護者として病院受診を実現すべき義務があったのに、Rの拒否を理由にそれを怠り死亡に至らせた責任は重いと主張した。
夫Kは、林家長女Rから自らも殴打や電気コードによる首絞めなどの暴力を受け支配されていたこと、娘Tを病院に連れて行くよう繰り返し求めたが林家長女Rに拒否され続けたことを供述したうえで、林家長女Rが病院受診を拒んだ理由として、「病院に行ったら自分の虐待が発覚する」「カレー事件の時のように、何もしていなくても厳しい取り調べを受けるのが嫌だ」と語っていたと証言した。
2023年3月15日、和歌山地裁は、娘Tは適切な医療を受けていれば命が助かった可能性が高いこと、夫Kには保護者として医療機関に連れて行く義務があったにもかかわらず、それを怠って死亡させた点を重く評価しつつ、虐待の主導者が既に死亡した林家長女Rであったことや、夫Kが林家長女Rからの暴力・支配下にあった事情も考慮し、夫Kに対し保護責任者遺棄致死罪で懲役6年の実刑判決を言い渡した。[85][86][87]
長女は、亡くなった2021年現在、長男とは10年以上も連絡を取っていなかった。長女の死は、長男によって眞須美に伝えられたが、眞須美は「この中にいて何もすることができず、守ってあげられなくて悔しい」と何度も言ったという。インターネット上には、2021年現在も家族への誹謗中傷が溢れているとされている[84]。
カレーライスのイメージ悪化
和歌山毒物カレー事件では、報道で「毒入りカレー」の文字が前面に出ていたためカレーライスのイメージが悪化し、食品会社はカレーのCMを自粛。料理番組でもカレーライスのレシピ紹介を取りやめた。また、テレビアニメ『たこやきマントマン』と『浦安鉄筋家族』では、ストーリーにカレーライスが出る回が放送されなかった[注 41]。そして、日本ではちょうど夏祭りが各地で開催される時期だったことから、事件後は各地の夏祭りで食事の提供が自粛されるなどの騒動に発展した。
この他、前述の犠牲者である小学4年生の男子児童は事件当時、和歌山市立有功小学校に通学していたが[88]、同小学校では事件発生から25年が経った2023年時点でも、学校給食の献立でカレーライスが出されていない[注 42][22]。
模倣犯の出現
和歌山毒物カレー事件の後、飲食物に毒物を混入させるといった模倣犯が日本では多数現れた。中でもアジ化ナトリウムは混入が相次ぎ、1999年にはアジ化ナトリウムの管理を徹底させるべく、日本においてアジ化ナトリウムは毒物に指定され、毒物及び劇物取締法による流通規制が行われるに至った。
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林が提起した訴訟
要約
視点
カレー毒物混入事件法廷写真・イラスト訴訟
林眞須美は、本事件後に多数の訴訟を起こしたことで知られる。
その中で「カレー毒物混入事件法廷写真・イラスト訴訟」では、取材対象に無断で撮影した写真や、無断で描画したイラストを報道した時に、肖像権侵害となるのはどういった場合なのかについて、日本の最高裁判所として初めて基準を示すに至った[90]。この中で最高裁は、撮影や描画された人物の社会的地位、活動内容を鑑みて、撮影や描画を行った場所、目的、さらに、撮影や描画をどのように行ったか、そもそも撮影や描画の必要性があったかを総合し、撮影や描画された側の人物が社会生活上の我慢の限度を超えるかどうかで判断すべきとし、林眞須美の写真や一部のイラストについて違法と判断した[90]。
その他の訴訟
林は、前述のカレー毒物混入事件法廷写真・イラスト訴訟以外にも、例えば2012年に再審請求中の林は、事件の裁判において虚偽の証言をしたとして、100万円の損害賠償を求めて夫を提訴した。
また、週刊朝日の調べにより、マスメディア関係者や事件の発生地の地元住民、生命保険会社に勤務していたときの同僚など、計50人ほどを相手に訴訟を起こしていることが判明。しかし、弁護士も立てていないため訴訟の遂行は難しいという。
かつてメディアを相手に500件以上の訴訟を起こしたロス疑惑の三浦和義は生前、林を支援しており、林に対しマスメディアを訴えることを勧め、手紙や面会で方法を伝授していた。これに対し林も「三浦の兄やん、民事で訴えちゃるって、ええこと教えてくれた」と答えた[91]。
2017年3月、和歌山地裁は第1次再審請求を棄却したが、弁護団は即時抗告するとともに、有罪を根拠づけたヒ素鑑定を行った東京理科大学教授の中井泉らを相手取り、6,500万円の損害賠償を求める民事訴訟を提起した[23]。
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その他
- 障害者郵便制度悪用事件で村木厚子を取調べ中に、担当検察官である國井弘樹は村木に向かい「あの事件だって、本当に彼女がやったのか、実際のところは分からないですよね」といい、否認を続けることで冤罪で罪が重くなることを暗示し、自白を迫った[92]。
- 逮捕前、自宅を取り囲む報道関係者たちに笑いながらホースで放水している姿を撮った映像が繰り返し使用され、ふてぶてしい印象づけがメディアによりなされたが、これについてのちに夫は、報道が過熱し夜中中取り囲まれたが、彼らが蚊に刺されないよう殺虫剤を持って行ったりしたにもかかわらず、郵便受けから郵便を抜き取ったり、塀にはしごをかけ2階の子供部屋を盗撮したりされたため、眞須美に「あいつらのぼせ上ってるから、記者会見する言うて集めて、上からいっぺん頭冷やしたれ」と命令したとしたうえで、「いかにもカレーに毒入れそうなおばはんの『絵』」にされたと語っている[93]。
- フジテレビ『ニュースJAPAN』で、キャスターの安藤優子が事件の注目人物であった逮捕前の林に電話インタビューを試みている。逮捕前だったこともあり、注目人物であった林の名前を自主規制音を被せて匿名化していたが、編集ミスで1か所だけ自主規制音が入っていなかったため、その部分だけ「林さんは…」という言葉がのって放送されてしまった。そのため、林から「おかげで外に買い物にも行けない。どうしてくれるのか?」と、猛抗議を受けた。
- 林夫婦が住んでいた家(木造2階建て住宅・約180㎡)は2人の逮捕後、無人となり、壁などに落書きされたり、無断で敷地内に侵入したりする者が相次いでいたため、和歌山東警察署がパトロールを継続していたが[94]、2000年(平成12年)2月16日未明に放火され、全焼した[注 43][95]。そのニュースを聞かされた獄中の林は「ああ、そう」と答えた。林の自宅はその後解体され[100]、土地(約360㎡)は競売に出された結果、2004年春に地元自治会が住民からの寄付を募って、380万円で買い取った[101]。そして、住民たちの協議により、花壇として整備された[注 44][102]。
関連書籍
- 週刊文春特別取材班『林真須美の謎 ヒ素カレー・高額保険金詐取事件を追って』ネスコ、1998年12月。ISBN 978-4890369935。
- 三好万季『四人はなぜ死んだのか インターネットで追跡する「毒入りカレー事件」』文藝春秋、1999年7月。ISBN 978-4163554303。
- 林眞須美『死刑判決は『シルエット・ロマンス』を聴きながら 林眞須美 家族との書簡集』講談社、2006年8月。ISBN 978-4062135139。2025年9月、電子書籍化。
- 今西憲之「和歌山カレー毒物混入事件 林真須美被告の夫・健治氏 独占告白10時間「私たち夫婦は保険金詐欺のプロ。金にならんことはやらん。真犯人は別」」『週刊朝日』第111巻第56号、朝日新聞社出版部、2006年11月3日、36-39頁、NAID 40007455802。 - 2006年11月3日号・通号4782。
- 林眞須美、林健治(林眞須美の夫)、篠田博之(月刊『創』編集長)『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』創出版、2014年7月15日。ISBN 978-4904795316。 - 林夫妻と本事件を取材し続けている篠田らによる共著書。
- 帚木蓬生『悲素』新潮社、2015年7月。ISBN 978-4103314226。 - 事件に関わった実在の医師の記録に基づく小説。
- 田中ひかる『「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実』ビジネス社、2018年7月。ISBN 978-4828420370。
- 和歌山カレー事件 林眞須美死刑囚長男『もう逃げない。〜いままで黙っていた「家族」のこと〜』ビジネス社、2019年7月。ISBN 978-4828421155。
関連サイト
- 和歌山カレーヒ素事件における頭髪ヒ素鑑定の問題点 河合潤
- 「ヒ素は自分で呑んだ。真須美はやっていない」/真須美被告の夫・健治さんが最高裁判決の不当性を訴え - videonewscom公式YouTube
- 和歌山カレー事件の鑑定ミスはなぜ起きたか - videonewscom公式YouTube
- 【ダイジェスト】河合潤氏:和歌山カレー事件に見る、科学鑑定への誤解が冤罪を生む構図 - videonewscom公式YouTube
- 【WLP】薬毒物の分離・精製技術 - 和歌山毒カレー事件の真相究明 - 唯一の物証となった、ヒ素分析について中井泉自身が語っている(JST Channel)。
- 「和歌山毒物カレー事件」を林真須美死刑囚の長男と振り返る 小学生だった事件当時の状況を語りつくす||カンニング竹山の土曜The NIGHT#60 - 【アベマ】公式サイト YouTube
- [クロ現 和歌山毒物カレー事件の子どもたち 闇に追われた23年 | クローズアップ現代 | NHK] - YouTube
- [クロ現 自ら命を絶った長女 和歌山毒物カレー事件の子どもたち | NHK] - YouTube
- 【前編】和歌山カレー毒物事件 林眞須美 死刑囚の息子/保険金詐欺で数億稼ぎ報道陣に追い込まれ家族崩壊/無罪主張も逮捕された母 - 街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜YouTube
- 【後編】林眞須美の長男/両親逮捕後の地獄の人生/不当解雇/婚約破棄/集団暴行/22年無罪主張の母と真犯人の可能性… - 街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜YouTube
- 映画『死刑弁護人』予告編 - シネマトゥデイ
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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