トップQs
タイムライン
チャット
視点

和爾俊二郎

ウィキペディアから

Remove ads

和爾 俊二郎(わに しゅんじろう、1902年明治35年)8月12日[1] - 1968年昭和43年)7月12日[1][2])は、昭和期の地方公務員政治家衆議院議員大阪市助役位階従四位勲二等瑞宝章

経歴

愛媛県[注 1]周桑郡小松町[1](現西条市小松町)で生まれる。1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部を卒業した[1][2]

大阪市役所に入り[1]、大阪市書記、同理事、教育部長、民生局長などを歴任[2]。この間に入隊して陸軍工兵曹長となった[2]。1951年(昭和26年)大阪市助役に就任し3期在任した[1][2]第2室戸台風被害の救助活動に尽力し、大阪市会から感謝決議を受けた[1]

1963年(昭和38年)4月の大阪市長選挙自由民主党推薦で出馬したが落選[1]。同年11月、第30回衆議院議員総選挙大阪府第1区から自民党公認で出馬して初当選[2][3]。1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙大阪府第6区)でも再選され[4]、衆議院議員に連続2期在任した[2]。この間、自民党全国組織委員会地方組織部長、同商工副部会長、同大阪府連幹事長などを務めた[2]。その他、朝日企業取締役会長、大阪市信用金庫理事、大阪軟式庭球協会会長などにも在任した[2]

1968年7月、議員在任中に死去[1]。死没日付をもって従四位に叙され、勲二等瑞宝章を追贈された[5]

Remove ads

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads