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和爾俊二郎
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和爾 俊二郎(わに しゅんじろう、1902年(明治35年)8月12日[1] - 1968年(昭和43年)7月12日[1][2])は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員、大阪市助役。位階は従四位。勲二等瑞宝章。
経歴
愛媛県[注 1]周桑郡小松町[1](現西条市小松町)で生まれる。1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部を卒業した[1][2]。
大阪市役所に入り[1]、大阪市書記、同理事、教育部長、民生局長などを歴任[2]。この間に入隊して陸軍工兵曹長となった[2]。1951年(昭和26年)大阪市助役に就任し3期在任した[1][2]。第2室戸台風被害の救助活動に尽力し、大阪市会から感謝決議を受けた[1]。
1963年(昭和38年)4月の大阪市長選挙に自由民主党推薦で出馬したが落選[1]。同年11月、第30回衆議院議員総選挙に大阪府第1区から自民党公認で出馬して初当選[2][3]。1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙(大阪府第6区)でも再選され[4]、衆議院議員に連続2期在任した[2]。この間、自民党全国組織委員会地方組織部長、同商工副部会長、同大阪府連幹事長などを務めた[2]。その他、朝日企業取締役会長、大阪市信用金庫理事、大阪軟式庭球協会会長などにも在任した[2]。
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脚注
参考文献
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