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和田 (栄町)
日本の千葉県印旛郡栄町の大字 ウィキペディアから
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和田(わだ)は、千葉県印旛郡栄町の大字。郵便番号270-1521[2]。
地理
北は茨城県河内町大徳鍋子新田、北東は茨城県河内町小林町歩、東は安食、南東は安食卜杭新田、南は印西市安食卜杭、南西は布鎌酒直、西は南、布鎌酒直、生板鍋子新田、北西は茨城県河内町龍ケ崎町歩に隣接している。
小字
小字は以下の通り[4]。
- 下沖耕地(しもおきこうち)
- 下耕地(しもこうち)
- 外裏耕地(そとうらこうち)
- 外下中耕地(そとしたなかこうち)
- 外下耕地(そとしもこうち)
- 外前耕地(そとまえこうち)
- 外上耕地(そとかみこうち)
- 内上耕地(うちかみこうち)
- 上耕地(かみこうち)
- 上沖耕地(かみおきこうち)
- 圦場入会地(いりばいりあいち)
- 下仲耕地(しもなかこうち)
- 下加輪(しもかわ)
- 上加輪(かみかわ)
- 外加輪耕地(そとかわこうち)
- 中耕地(なかこうち)
- 反高(だんだか)
歴史
江戸期は下和田新田であり、下総国印旛郡のうち。江戸初期大瀬野村に属し、延宝元年から布鎌新田の1つ、布鎌を冠称。もと草刈場大瀬野を寛永頃埴生郡安食村が新田開発、明暦3年大瀬野村200石余に含まれる。はじめ旗本本多氏領、寛文2年から幕府領、天保10年から浜松藩領、弘化3年一時幕府領となるが、以後再び浜松藩領。村高は、延宝元年拾九ヶ村村名寄帳・「元禄郷帳」ともに79石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに87石余。また、延宝元年の反別15町5反余、皆畑(印旛郡誌)。明治6年千葉県に所属。神社は天神社など。明治22年布鎌村の大字となる[5]
年表
世帯数と人口
2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。[7]
施設
- 栄町和田集会所
- 印旛排水機場
- JA西印旛東部
- JA西印旛米穀低温倉庫
- 出津河川防災広報センター
- 天満宮
- 長門川公園
交通
道路
脚注
関連項目
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