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唐仁古墳群
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唐仁古墳群(とうじんこふんぐん)は、鹿児島県肝属郡東串良町新川西にある古墳群。国の史跡に指定されている。
鹿児島県で最大規模の唐仁大塚古墳(唐仁1号墳)を含む、鹿児島県では最大規模の古墳群である。
概要
鹿児島県東部、大隅半島東岸の志布志湾沿岸部の、肝属川下流左岸の旧期砂丘帯(大塚砂洲)上に営造された古墳群である。周辺では南方に塚崎古墳群(肝付町)、西方に岡崎古墳群(鹿屋市)、北方に横瀬古墳・神領古墳群(大崎町)が所在し、本古墳群と合わせて大古墳群を形成する[2][3]。そのうち本古墳群は前方後円墳3基・円墳119基・不明等8基の計130基から構成される(2017年(平成29年)時点)[2]。
古墳群のうち1号墳(唐仁大塚古墳)は、墳丘長140メートル(一説に154メートル)を測り、鹿児島県で最大規模の古墳になる[2]。また前方後円墳3基(1・16・100号墳)および中型円墳(17・33号墳)を除く古墳はほぼ小規模円墳になる[2]。また域内で地下式横穴墓は認められておらず、周辺の遺跡とは異なる様相を示す(砂丘帯に所在するためか)[2]。
この唐仁古墳群は、古墳時代中期頃の営造と推定される[2]。中期初頭の1号墳(大塚)の築造を契機として、1号墳(大塚)→100号墳(役所塚)→16号墳(薬師堂塚)が首長墓系譜をなし、中期後葉には古墳築造を終える[2]。また志布志湾岸においては、塚崎古墳群に後続し、横瀬古墳に先行する盟主的首長墓群に位置づけられる[2]。古墳規模や古墳築造数の特色に加え、周辺遺跡と比較して地下式横穴墓が存在しない点や小規模円墳が多い点で、畿内ヤマト王権勢力との社会的・政治的関係を含めた古墳時代の志布志湾岸を考察するうえで重要視される古墳群になる[2]。
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遺跡歴
- 1923年(大正12年)、瀬之口伝九郎が報告[2]。
- 1934年(昭和9年)1月22日、132基が国の史跡に指定[2][1]。
- 1962年(昭和37年)、分布調査(鹿児島県教育委員会)[2]。
- 前方後円墳4基・円墳114基を確認(残14基所在不明)。
- 1989年度(平成元年度)
- 1992年度(平成4年度)
- 1993-1995年度(平成5-7年度)、圃場整備に伴う烏帽子地区内の確認調査(東串良町教育委員会、1996年に報告書刊行)[2]。
- 2008-2016年度(平成20-28年度)、測量等調査(東串良町教育委員会、2017年に報告書刊行)。
- 前方後円墳3基・円墳119基を確認(別に1基消滅・1基非古墳の確認。残8基未調査)。
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一覧

16号墳(薬師堂塚古墳)

33号墳(向塚古墳)

100号墳(役所塚古墳)
文化財
国の史跡
- 唐仁古墳群 - 1934年(昭和9年)1月22日指定[1]。
関連施設
- 東串良町郷土研修館(東串良町新川西)- 唐仁古墳群の出土品等を保管・展示。
脚注
参考文献
関連文献
関連項目
外部リンク
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