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塚崎古墳群
日本最南端の前方後円墳群 ウィキペディアから
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塚崎古墳群(つかざきこふんぐん)は、鹿児島県肝属郡肝付町野崎にある古墳群。大部分が国の史跡に指定されている。
日本最南端の前方後円墳を含む古墳群として知られる。
概要
鹿児島県東部、肝付町市街地から東方約4キロメートルの舌状台地(野崎塚崎台地)上に営造された古墳群である。古墳59基(前方後円墳5基・円墳54基<現存39基>)・地下式横穴墓29基から構成される。古墳59基についてはこれまでの番号設定において混乱が生じていたが、近年の番号整理によって確定されている。
古墳の多くは未調査のため内容が詳らかでないが、前方後円墳5基のうち特に51号墳(花牟礼古墳、旧39号墳または40号墳)は日本最南端に位置する前方後円墳として知られる。また1号墳には巨大なクスノキが生育しており、「塚崎のクス」として国の天然記念物に指定されている。そのほか、一帯では弥生時代の住居跡も検出されている。
この塚崎古墳群は、4世紀から5世紀頃の営造と推定される[2]。特に前方後円墳は4世紀代の築造と推定され、5世紀に営造が始まる北方の唐仁古墳群(東串良町)の先代首長墓群に位置づけられる[2]。当該時期には畿内でも大王墓群が奈良盆地から河内平野に移動することから、肝属平野での古墳営造地の移動も畿内王権の政治変動に伴う現象と解される[2]。前方後円墳の南限地(畿内ヤマト王権勢力の南限地)であるという特色に加え、大隅地方では最古の古墳群であり、地下式横穴墓・石棺墓などを包含する多様な墓制を示す点でも重要視される古墳群になる[2]。
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遺跡歴
- 1919年(大正8年)、瀬戸口伝九郎による報告[3]。
- 1945年(昭和20年)2月22日、国の史跡に指定[1]。
- 申請時:前方後円墳5基・円墳47基の計52基(番号設定)。
- 指定時:前方後円墳5基・円墳43基の計48基(所在不明の4基除外)。
- 1962年(昭和37年)、古墳分布図作成(鹿児島県埋蔵文化財分布調査)[4]。
- 前方後円墳4基・円墳40基の計44基(改めて番号設定。所在不明の4基除外)。
- 1966年(昭和41年)、標柱・案内板設置[4]。
- 前方後円墳4基・円墳39基の計43基(1基除外、33号以降は前倒しで番号設定)[4]。
- 1992-1995・2001年度(平成4-7・13年度)、測量調査(鹿児島大学・琉球大学)[3][4]。
- 2004-2007年度(平成16-19年度)、範囲確認調査(肝付町教育委員会、2009年に報告書刊行)[5][3]。
- 2009年度(平成21年度)、指定番号・標柱番号整理(肝付町教育委員会、2009年の報告書に反映)[4]。
- 2012-2014年度(平成24-26年度)、範囲確認調査(肝付町教育委員会)。
- 2013年(平成25年)10月17日、史跡範囲の追加指定[4]。
- 2017年度(平成29年度)、新発見古墳を加えて古墳番号・地下式番号設定(肝付町教育委員会、2018年の保存活用計画書に反映)[4]。
- 前方後円墳5基・円墳54基の計59基、地下式横穴墓29基(改めて番号設定)。
- 2020年(令和2年)3月10日、史跡範囲の追加指定[6]。
- 2024年(令和6年)2月21日、史跡範囲の追加指定。
- 2025年(令和7年)3月10日、史跡範囲の追加指定。
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一覧
古墳
- 10号墳
- 11号墳
- 21号墳
旧16号墳。 - 51号墳
旧39または40号墳。日本最南端の前方後円墳。
地下式横穴墓
文化財
国の史跡
関連文化財
関連施設
肝付町立歴史民俗資料館
- 肝付町立歴史民俗資料館(肝付町野崎) - 塚崎古墳群の出土品等を保管・展示。
脚注
参考文献
関連文献
関連項目
外部リンク
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