トップQs
タイムライン
チャット
視点

四季穂

ウィキペディアから

Remove ads

四季穂(しきほ、1956年8月24日[1][注釈 1] - )は、主に1980年代に活動していた日本の元タレント歌手東京都出身[1]。本名、佐藤 洋子[4][1]。身長160cm[4][5]。当時所属していた事務所は「スパーク104」[5]

概要 四季穂, 出生名 ...

来歴・人物

中学・高校時代はバスケットボールの選手でも活動[1]

1974年のテレビドラマ『われら青春!』(日本テレビ)に憧れて教師を目指そうと思い、体育教師を志望して日本女子体育大学に進学[4][2]。しかし3年生の時に身体の故障で教師の道は断念[4]、大学も結局休学した後退学、両親からも勘当同然の状態になる[1]

その後、「スクラッチ」というガールズバンドでも活動[6]1980年頃にアルバイトをしていた東京・青山のスナックで、所属となる事務所のマネージャーと知り合ってスカウトされたのがきっかけで芸能界入り[4][2]1981年10月、『独占!女の60分』(テレビ朝日)のアタッカー(リポーター)でデビュー[2]

タレント時代は「欲求不満解消タレント」「4次元タレント」とも言われたことがある[3]

バラエティやテレビドラマ中心に活動していたが、「テレビでの自分のイメージと歌手としての自分のイメージとにギャップがある」ことを感じ、1985年頃にテレビ出演を辞めて歌手としてのライブ活動一本に絞る[3]。そして再びロックバンドのボーカルとしても活動していたが、歌手としては売れず、1987年頃、30歳の時に引退[3]。その後、自身を見出してスカウトし、プロデュースをしてきたマネージャー(後に芸能プロ専務)と結婚。子供にも恵まれ、引退後に掲載された週刊TVガイド・1990年2月9日号「TVあの人は今」コーナーでは主婦としての近況を伝えている[3]

Remove ads

人物

  • 姉が二人いる[2]
  • 芸名は、活動が一年中四季を通じて実り豊か()であるようにという意味を込めて名付けられた[4]
  • がなり立てるのが似合うような声質が特徴[4]。しかし高校生時代までは自分の声の音域はソプラノで、天地真理のものまねが上手かったほどだったという[4]
  • 芸能界で活動していた当時の外見は、髪は刈り上げで太い眉毛という顔[4]、服はズボンスタイルが主という外見が特徴で、当時スカートは制服以外はいたことが無かったという[4]。刈り上げの髪型については「芸能界の中で、多分私が一番早かったんじゃないかと思う」と話している[6]
  • 大学生時代から芸能界デビューするまでの間に多くのアルバイトを経験。保険会社勤務から、ガソリンスタンドの洗車係、ビル清掃、宣伝カーのアナウンス、喫茶店のウエイトレスから汚染処理、死体拭きに至るまでなど約30種類の仕事をしていた[1][2][6][7]
  • 書道4級、そろばん・簿記それぞれ2級、自動車はB級ライセンスの免許を所持しており[4]、当時愛車はジープだったことがあった[4]
Remove ads

出演

バラエティ

テレビドラマ

[8]

ディスコグラフィー

全て日本コロムビアから発売。

シングル

  • 乾いたブルースがいい (1984年)
  • 東京ナイト (1985年、「Shikiho with Front Line」名義)
    • 作詞・作曲;シミズヤスオ B面『真夜中の誘惑』
  • LOVE IN THE NIGHT (1986年、「SHIKIHO」名義)
    • 作詞:佐藤ありす夢見子/作曲:シミズヤスオ B面『東京ナイト(SING BY SHIKIHO)』

アルバム

乾いたブルースがいい」 (1984年)

  • SIDE A
  1. ウ・キ・ウ・キ
  2. ベビィ・シッターが消えた朝
  3. 嫌われても
  4. いちどだけ Meet You
  5. 笑い話
  • SIDE B
  1. 乾いたブルースがいい
  2. Old Time Jazz
  3. Lonely Morning
  4. バイオレンス
  5. 濡れて Good-Bye

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads