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トゥナイト (テレビ番組)

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トゥナイト』は、1980年昭和55年)10月6日から1994年平成6年)3月31日までテレビ朝日系列局で放送されたテレビ朝日制作のワイドショー

概要 トゥナイト, ジャンル ...

概要

過去にテレビ朝日が制作・放送していた『23時ショー』の流れを汲む深夜番組として放送開始。

『23時ショー』と同様に情報番組の要素とバラエティ番組の要素双方を併せ持っていたが、この番組は情報面をより強化した内容で放送されていた[1]。司会は、番組放送開始から終了まで一貫して作家の利根川裕が務めた。週4日編成で、基本的には55分番組として放送されていたが、1985年9月11日にロス疑惑の三浦和義が逮捕されたのを受け、緊急報道特別番組の形で35分延長し、1時間30分の放送を行ったことがある。

番組は、放送開始から半年後に始まった映画監督の山本晋也による風俗街リポートで、山本がリポート時に発していた「ほとんどビョーキ」というフレーズは、当時の流行語にもなった。他方、「未成年の性犯罪」、「薬物汚染問題やロス疑惑」、「豊田商事永野一男会長の殺害事件」、「日本航空123便墜落事故」(1985年)など、政治・事件・事故など社会的に関心の強い硬派な内容にも積極的な取材を続けたため、ワイドショーの特性を生かしたニュース性も強みがあり、ナイトショーとしての制作スタンスを頑なに守り続けた。また、初期においては田原総一朗などによる政治討論の企画もしばしば組まれており、現在放送中の『朝まで生テレビ!』のような田原司会の討論番組の土壌を築いた番組でもあった(この事が関係してか、『朝生』の第1回目では利根川が討論司会を務めていた)。

1980年代中盤になると深夜番組の過激化が社会問題となり当時、総理大臣を務めていた中曽根康弘の深夜番組の自粛要請によって地上波のコンプライアンスが厳しくなった[2]。番組にレギュラー出演していた南 美希子も「やはり、当時の中曽根康弘首相のお色気番組自粛要請の“鶴の一声”は大きかったです。」と振り返っている[3]

番組は13年半にわたって放送され続けたが、1994年4月4日に『トゥナイト2』と題してリニューアルされた。

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放送時間

いずれもJST

  • 毎週月曜 - 木曜 23:25 - 翌0:20 (1980年10月6日 - 1992年4月2日)
  • 毎週月曜 - 木曜 23:55 - 翌0:50 (1992年4月6日 - 1994年3月31日)
    • ネオドラマ』枠が編成されたのに伴い、従前より30分繰り下げられた。『大相撲ダイジェスト』放送時は『ネオドラマ』休止となる関係で、3分繰り上げて放送。

出演者

司会

アシスタント

  • 山口敏枝(1980年10月6日 - 1981年3月)
  • 西村知江子 (1981年4月 - 1985年9月)
  • 南美希子(当時テレビ朝日アナウンサー、1985年10月 - 1986年3月)
  • 松川裕美(1986年4月 - 1988年9月)
  • 雪野智世(当時テレビ朝日アナウンサー、1988年10月 - 1989年9月、司会降板後もリポーターとしてレギュラー出演)
  • 門村幸夜(1989年10月 - 1990年9月)
  • 山崎尚子(1990年10月 - 1993年3月)
  • 玉利かおる(1993年4月 - 1994年3月31日)

その他の出演者(リポーターなど)

オープニングテーマ

歴代エンディングテーマ

ネット局

番組終了時のネット局

さらに見る 放送地域, 放送局 ...

途中打ち切りのネット局

いずれも『ネオドラマ』の編成開始および九州朝日放送制作の『ドォーモ』の放送時間繰り上げに伴い、1992年4月2日放送分をもってネット打ち切り。

さらに見る 放送地域, 放送局 ...

朝日放送大分朝日放送では、当番組(山口朝日放送は当番組のみ)と後継番組の『トゥナイト2』は一度も放送されなかった。

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脚注

関連項目

外部リンク

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