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四条隆昌

安土桃山時代から江戸時代初期の公卿 ウィキペディアから

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四条 隆昌(しじょう たかまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿権中納言冷泉為益の長男。官位左近中将四条家15代当主。

概要 凡例四条隆昌, 時代 ...

経歴

初め二条家諸大夫月輪家を相続し名を家賢といった。

天正3年(1575年)3月、前当主・四条隆益が死去し中絶していた四条家を再興し、名を隆昌と改めた。天正8年(1580年)1月に従四位下となったが、勅勘を蒙り摂津国に出奔した。その間、正親町三条公兄の孫の隆憲、次いで隆致が四条家に迎えられている。しかし隆昌は、慶長6年(1601年)5月、徳川家康の奏請により、勅免出仕し四条家に戻った。このため当時四条家を継いでいた隆致の子・隆朝は別家を立て櫛笥家と称した。

慶長18年(1613年)5月12日、薨去。享年88。

系譜

  • 父:冷泉為益
  • 母:不詳
  • 養父:四条隆益
  • 妻:御茶々(三河御局) - 長谷玄孝法眼女、もと一色昭孝室、唐橋在通母、のち朝日姫に侍する乳人
  • 妻:磯部兵部大輔女(?-1594)
    • 女子(1591-1593) - 3歳で死去、法名は玉仏房
    • 女子:弥々
  • 妻:恵光寺良恵女 - 本願寺門跡一族
    • 女子:御テテ
  • 生母不明の子女

脚注

参考文献

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