国事御用書記(こくじごようしょき)は、日本における江戸幕末、文久2年5月11日(1862年6月8日)、朝廷に国事を議するために設けられた役職。国事御用書記掛ともいう。同年5月15日(6月12日)付の『維新史料要綱』(東京大学史料編纂所データベース)によれば、該当の公家は下記の通りである。なお、同年12月9日(1863年1月28日)付けにて国事御用掛の設置に伴い廃止される。
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就任者 (名前の読み) | 年齢 (就任時・数え年) | 官位 (就任時) |
三条西季知 (さんじょう にしすえとも) | 52歳 | 正二位・権中納言 |
徳大寺実則 (とくだいじ さねのり) | 24歳 | 従二位・権中納言 |
六条有容 (ろくじょう ありおさ) | 49歳 | 従二位・参議・左近衛中将 |
藤波教忠 (ふじなみ のりただ) | 40歳 | 従二位・祭主・神祇大副 |
西洞院信堅 (にしのとういん のぶかた) | 59歳 | 正三位・左兵衛督 |
石井行光 (いわい ゆきてる) | 48歳 | 正三位・非参議 |
久我通久 (こが みちつね) | 22歳 | 正三位・右近衛中将 |
阿野公誠 (あの きんみ) | 45歳 | 正四位下・左近衛中将 |
滋野井実在 (しげのい さねあり) | 37歳 | 正四位下?・左近衛権中将 |
梅渓通善 (うめたに みちたる) | 42歳 | 正四位下・右近衛権中将 |
東園基敬 (ひがしその もとゆき) | 43歳 |
河鰭公述 (かわばた きんあきら) | 44歳 | 従四位上?・右近衛権少将 |
三条実美 (さんじょう さねとみ) | 26歳 | 正四位下・左近衛権中将 |
千種有文 (ちぐさ ありふみ) | 47歳 | 従四位下・左近衛権少将 |
岩倉具視 (いわくら ともみ) | 38歳 | 正四位下・左近衛権中将 |
東久世通禧 (ひがしくぜ みちとみ) | 40歳 | 正四位下・左近衛権少将 |
富小路敬直 (とみのこうじ ひろなお) | 21歳 | 従四位上・中務大輔 |
梅渓通治 (うめたに みちとう) | 33歳 | 従四位下?・右近衛権少将? |
橋本実梁 (はしもと さねやな) | 29歳 | 正四位下・侍従 |
万里小路博房 (までのこうじ ひろふさ) | 39歳 | 正五位上・検非違使権右中弁右衛門権佐 |
四条隆謌 (しじょう たかうた) | 35歳 | 正五位下・無官 |
勘解由小路資生 (かでのこうじ すけより) | 36歳 | 正五位下・中務少輔 |
錦小路頼徳 (にしきこうじ よりとみ) | 28歳 | 従四位下・右馬頭 |
澤宣嘉 (さわ のぶよし) | 28歳 | 正五位下・主水正 |
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※人名のふりがなの多くは、『平成新修旧華族家系大成』(霞会館発行)を参考。