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坊城俊章

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坊城俊章
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坊城 俊章(ぼうじょう としあや)は、日本公家陸軍軍人政治家。陸軍歩兵中佐貴族院伯爵議員

概要 凡例坊城 俊章, 生誕 ...

経歴

山城国京都坊城俊克の長男として生まれ、父の養子で従兄弟の坊城俊政の養子となる[2]安政4年11月25日1858年1月9日)に元服し昇殿を許される[3]元治元年12月25日1865年1月22日)侍従となる[3]

慶応3年12月9日1868年1月3日)王政復古を迎え、慶応4年2月20日(1868年3月13日)参与、弁事加勢に就任[4]。以後、弁事、外国事務局権補、三等陸軍将を歴任[4]。同年8月旧幕府艦隊に備えて摂泉防禦総督に就任し大坂警備に当たった[1][4]。さらに、左少弁、三陸巡察使、陸軍少将、兼三陸磐城両羽按察使、兼三陸磐城両羽按察次官などを経て、明治3年9月24日1870年10月18日)第一次山形県知事に就任し、明治4年10月5日1871年11月17日)に免本官となる[4]。その後、ロシア帝国ドイツ帝国に留学し、1874年(明治7年)7月に帰国した[1][4]。その後、近衛歩兵大隊長、第1師管軍法会議判士長などを務め、陸軍歩兵中佐に進み、日清戦争では台湾兵站司令官として従軍した[1][5]

養父・俊政の死去に伴い、1881年(明治14年)11月7日、家督を相続[2]1884年(明治17年)7月7日、伯爵を叙爵[6]1897年(明治30年)7月10日、貴族院伯爵議員に選出され[7]死去するまで在任した[5]

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栄典

系譜

脚注

参考文献

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