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坪田十郎

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坪田十郎
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坪田 十郎(つぼた じゅうろう、1867年9月12日慶応3年8月15日[1][2] - 1925年(大正14年)9月17日)は、日本の政治家実業家。衆議院議員[3]。神戸土地、神戸鉄工各社長[3]。族籍は兵庫県士族[3][4]

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坪田十郎

経歴

生い立ち

播磨国飾東郡八代村(のち兵庫県飾磨郡城北村[4]、現・姫路市八代[5][6])生まれ。坪田重吉の長男[3]。先代坪田十郎の養子。

貧家より身を起す[5]高砂警察署巡査となる[5]1892年明治法律学校(現・明治大学)を卒業する[6][7]

実業家として

兵庫県の伊藤長次郎家商業部の取締役となり、神戸市山手通りの開拓に従事した他、徳島瓦斯(現四国ガス)社長、播磨造船所(現IHI)監査役など、多くの企業の経営に参画した。

政治家として

神戸市会議長、兵庫県会議員などを経て、1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙で神戸市2区から当選。1917年(大正6年)の第13回衆議院議員総選挙で神戸市2区、1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙では兵庫県1区から当選し、通算3期衆議院議員を務めた。立憲政友会に属した[4]

1925年(大正14年)9月17日死去。

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家族

坪田家

家系について『現代兵庫県人物史』によると「坪田十郎は姫路市八代の産、その祖先は天台宗僧侶だったが、ある一派を開宗しようとして幕府の忌諱に触れ同地を追放される。その子は3人いて、長男は同地に止まり、次男は揖西郡伊津村に移る。以来連綿として十郎におよんだが家道は大に衰えていた。十郎は困苦窮乏の中に人となった。」という[5]

脚注

参考文献

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