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堤哲長
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堤 哲長(つつみ あきなが)は、幕末の公家。通称は大膳大夫、右京大夫、右兵衛督。
経歴
山城国京都で、堤維長の長男として生まれ、従兄弟堤言長の養子となる[1][2]。天保12年12月14日(1842年1月25日)に元服し昇殿を許され大和権介に任じられる[2][3]。嘉永6年1月21日(1853年2月28日)大膳大夫、元治元年7月10日(1864年2月28日)右京大夫を経て、明治2年3月、右兵衛督となる[2][3]。この間、文久3年8月(1863年)近習、その後、四次にわたって議奏加勢を務める[2]。
慶応4年1月(1868年)林和靖間詰[2]を経て、同年2月20日(1868年3月13日)参与、制度事務局補となる[2][4]。同年閏4月(5-6月)近習に転じた[2]。
岸派の絵を得意としたとされ、「歌絵」(勝興寺蔵[5][6])、「孝明天皇尊影」(泉涌寺蔵[7])などの作品が残っている。
系譜
脚注
参考文献
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