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塚越一弘
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塚越 一弘(つかごし かずひろ、1958年3月14日 - )は、栃木県出身の元騎手・元調教助手。
来歴
1977年3月に東京・大久保良雄厩舎からデビューし、昆貢・田原成貴と同期になる[1] [2]。
1年目の1977年は3月5日の中山第1競走4歳以上500万下・ヒロトモエ(7頭中2着)で初騎乗を果たし、同馬に騎乗した同19日の中山第1競走4歳以上勝入500万下で初勝利を挙げる[3]。同年は8月20日・21日の新潟で初の2日連続勝利[4]を挙げるなど6勝をマークしたが、2年目の1978年は3勝に終わる[5]。
3年目の1979年には東京障害特別(春)・ソーウンオーで人馬共に唯一の重賞勝利[6] [7]を挙げ、ソーウンオーと同じシャトーゲイ産駒[7]のトーワシャトーで東京障害特別(秋)3着・中山大障害(秋)4着に入った[8]。
1980年には2月16日の東京第2競走4歳未勝利で後にウィナーズサークルの母となるクリノアイバーで勝利し[9]、6月7日の東京第9競走4歳400万下では父コントライト・母父シンザンのアンフィトライ[10]で14頭中14番人気ながら勝利して単勝万馬券[11]の波乱を起こすなど、自身唯一の2桁勝利となる12勝[5]をマーク。
1984年の函館3歳ステークスでは重賞初出走のタカラスチールに騎乗したがエルプスの6着に終わり[12]、1985年からはフリーとなる。
1987年12月17日には夜に中京の調整ルーム内で、国兼正浩の騎乗を批判し、国兼と口論となった末に顔面を殴って打撲傷を負わせ、開催日4日間の騎乗停止を受けた。2024年に池添謙一と富田暁が「互いに粗暴な行為」で騎乗停止になった際、競馬評論家の須田鷹雄が自身のXに「騎手どうしの喧嘩というと塚越一弘vs国兼正浩を思い出してしまう」と投稿している[13]。
1989年には夏の函館と秋の福島で共に3勝[14]を挙げるなど9勝[5]をマークし、1990年には全て特別戦で3勝[15]、1991年には全て新潟戦で前年に続く3勝[16]を挙げた[5]。
1993年には初めて0勝に終わるが、1994年には冬の小倉戦3勝[17]を含む4勝をマーク[5]。
1996年3月16日の中京第2競走4歳未勝利・クインプラネットが最後の勝利[18]となり、8月18日の函館第6競走4歳以上500万下・イズミアモン(12頭中2着)が最後に引退[19]。
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騎手成績
- 主な騎乗馬
- ソーウンオー(1979年東京障害特別 (春))
脚注
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