トップQs
タイムライン
チャット
視点

夢みる想い

ウィキペディアから

Remove ads

夢みる想い」(ゆめみるおもい、イタリア語: Non ho l'età発音 [non ˈɔ lleˈta][1][2])は、コペンハーゲンで開催されたユーロビジョン・ソング・コンテスト1964で優勝した楽曲。作曲はマリオ・パンツェーリイタリア語版、作詞はニコラ・サレルノイタリア語版であった。日本語では日本発売盤に付けられた邦題により「夢みる想い」とされるほか、原題の発音に準じて「ノノレタ」、「ノ・ノ・レタ」として言及されることもある。

概要 "Non ho l'età", ユーロビジョン・ソング・コンテスト1964エントリー曲 ...
Remove ads

ユーロビジョン・ソング・コンテスト1964

イタリア代表ジリオラ・チンクェッティイタリア語で歌った。それまでのイタリア代表の楽曲と同じように、この曲は同年のサンレモ音楽祭で優勝した曲であった。当時のチンクェッティは16歳で、後にベルゲンで開催されたユーロビジョン・ソング・コンテスト1986で「あこがれフランス語版」を歌い優勝した当時自称15歳、実際には13歳であったサンドラ・キムに次ぐ、史上2番目に若いユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝者である[3]

ユーロビジョン・ソング・コンテスト1964では、「Oração」を歌ったポルトガル代表アントニオ・カルバリオポルトガル語版の次、「Život je sklopio krug」を歌ったユーゴスラビア代表サバフディン・クルト英語版の前である、12番目に登場した。投票結果は僅差であったが、この曲は49ポイントを獲得して出場16曲中の首位となった。

「夢みる想い」は、イタリアのみならず、ヨーロッパ大陸の他の国々、スカンディナヴィア、さらに全世界において、チンクェッティに相当の商業的成功をもたらし、様々な言語で、例えば英語版「This is My Prayer」、スペイン語版「No Tengo Edad」、フランス語版「Je suis à toi」、ドイツ語版「Luna nel blu」、日本語版「夢みる想い」が制作され、またさらに多くのアーティストたちによって、さらに多くの言語でのカバーが制作された[4][5]。有名なブルガリアの歌手リリー・イヴァノヴァ英語版や、香港の歌手レベッカ・パン潘迪華)は、1964年のうちにこの曲をカバーした。

翌年のユーロビジョン・ソング・コンテスト1965で優勝したのは、ルクセンブルク代表として「夢見るシャンソン人形」を歌ったフランス・ギャルであった。

この年のイタリア代表は「Se piangi, se ridi」を歌ったボビー・ソロであった。

チンクェッティは、後にユーロビジョン・ソング・コンテスト1974にも出場し、「夢はめぐり来て英語版」を歌ってABBAの「恋のウォータールー」に次ぐ2位に入り、ローマで開催されたユーロビジョン・ソング・コンテスト1991では、トト・クトゥーニョとともに司会を担当した。1974年には、「夢はめぐり来て」の英語版「Go」が全英シングルチャートで8位まで上昇し、彼女が「ワン・ヒット・ワンダー」(一発屋)ではないことを証明した。

Remove ads

チャート

さらに見る チャート(1964年), 最高位 ...

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads