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大久保村 (埼玉県)
日本の埼玉県北足立郡にあった村 ウィキペディアから
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大久保村(おおくぼむら)は、かつて埼玉県北足立郡に存在した村で、1955年に隣の土合村とともに浦和市へ編入され消滅した。
概要
現在のさいたま市桜区北部にあたる沖積平野に位置する。1889年に9つの村が合併して発足した。これら9つの旧村名は以後も大字として継承され、現在もさいたま市桜区内の町域名(植田谷領在家は「在家」、植田谷領領家は「大久保領家」にそれぞれ変更されている)となっている。
沿革
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、北足立郡上大久保村・下大久保村・五関村・植田谷領領家村・植田谷領在家村・宿村・塚本村・白鍬村・神田村・植田谷本村新田の一部が合併し、大久保村が成立する[1]。村名は大村である上・下大久保村が新村名として採用された。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 土合村とともに浦和市へ編入される[2]。大久保村消滅。大字はほかは浦和市へ継承され、大字領家が大字大久保領家に改称された[1]。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併しさいたま市となり、さいたま市の大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、旧大久保村域が桜区となる。
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脚注
参考文献
関連項目
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