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大岡忠恒 (旗本)
江戸時代中期の旗本。大岡忠行家5代。江戸幕府 書院番、旗奉行。大岡忠高の六男。従五位下、播磨守 ウィキペディアから
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大岡 忠恒(おおおか ただつね)は、江戸時代中期の旗本。大岡忠行家5代当主。旗奉行などを務める。孫に大岡忠慎。大岡越前守忠相の実弟である。
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1700石を知行する旗本の大岡美濃守忠高の六男として生まれる。一族の相模高座郡堤村を領する旗本・大岡忠種の養子となり、元禄10年(1697年)に養父が亡くなったためその遺跡を継ぐ。
宝永3年(1706年)に書院番に就任する。宝永6年(1709年)、東叡山からの還御の時、供奉の期日を間違えたため咎められそうになったが、5代将軍徳川綱吉の四十九日であったのと、その法要に参列したため、咎めを免れる。
享保4年(1719年)、組頭、享保12年(1727年)、新番頭、寛延2年(1749年)、江戸城西の丸留守居を歴任し、同年、従五位下・播磨守に叙任された。宝暦9年(1759年)には旗奉行に就任するが、宝暦11年(1761年)に死去した。享年78。
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脚注
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